僕は逮捕されたことがないのでわからないけれど,先日冤罪について考えたときから書きたいと考えていた.
冤罪ってどのように免れるべきなのだろうか.
ということである.
痴漢冤罪は近年話題になっているが,僕は冤罪一般について考えてみたい.
すべきことを後回しに,まず妄想から.
警察の他に,弁護士らと共同して「被疑者の無実を証明するために動く」国家機関があってもいいのかな,と思う.すべての事件について捜査を行い,その調査結果を提出する.
これはバイアスによる冤罪を防止するだろうし,犯罪率も実は減るのではないか,と見ている.
しかし,のちに述べるように「証拠」はそれを阻むのだろうと考えられる.
ので,もう一つ「証拠の管理」を行う図書館のようなところを作るべきだとも考える.
裁判所付属,になるでしょうか.
さて,タイトルが「考えたい」なのは,まだ「すべきこと」に至らないからである.
今回は,「すべきこと」について考えるために,その背景を描き出してみたい.
多分シリーズ物になるが,定期連載ではなさそう.
日本での冤罪の可能性って殆どの人は意識していないのではないか,と思う.
そもそも,「逮捕されたら有罪」という考え方はずっとはびこっているのではないか.
まず今日は,「バイアスの存在」について意識しておきたい.
巷で「逮捕=有罪」の意識があるように,警察にもそういう意識があるとかんがえられる.
それは,逮捕までの作業が「証拠を固めること」であるからだ.
逮捕状の請求は「適切な証拠」のもとで行われ,裁判官の判断によって逮捕状が出され,逮捕が行われることになっているということも理由にあげてもいい.
逮捕した時には,「後はおとすだけ」という意識があるのではないか,と僕は仮説する.
同じバイアスについて言うと,裁判官においてもそうであって,裁判官は中立であろうとしているけれども,ニュースを見ないわけではない.
そのニュースにおいて,「犯人」視している報道に偏っている場合,それに判断が引きずられるということは否定できないと僕は考えている.
警察,検事においてのバイアスはさらに裁判にも持ち込まれる.
「最良証拠主義」というものがある.
警察→検察→裁判所
への証拠提出は最良の証拠のみとする,というものだ.
しかしながら,被疑者/被告人にとって有利な証拠も警察/検察により収集・保管されるわけで,その公開がなされないというのはなかなかに皮肉である.
というのも,戦後刑事訴訟法の証拠法は被疑者/被告人のために制定されたはずであるからである…
多くの再審においては,不提出証拠が提出されるために無罪になることが多いという.
この最良証拠主義はどうして出来たものかちょっと調べてみたのだが,みつからなかった.
教えてもらいたいものである.(裁判時間の短縮のため,と書いてあるところは多かったが)
今回は,捜査側,中立であるはずの裁判所における被疑者不利なバイアスの存在について見てきた.
被疑者に有利なことはないだろうか? というのは探していきたい.
次回は,「閉じ込められること」と「脅しの構造」について,だろうか…まだ考えていない.
2012年7月14日土曜日
2012年7月11日水曜日
演出の基本的思想
演出に対して,いま,基本的な立場を明確にしておきたいと僕は思った.
自明のことかもしれないが,ただの呟きであると思って欲しい.
すべての演出は,「わかりやすさ」なのだろう,と今のところ僕は考えている.
そのためのの手法として,「視線誘導」だったり,「理解しやすい構図」「時間的変化」があったりする.
他にも,レンズを変えるとか,パンとか,いろいろある.
逆に,「わかりにくい」ということを利用する演出もある.
それはたとえば,「敵」,「仲間でない」,「対立の構図」を生み出すものなのであろう.
と,思っている.
では「予感」などはどのように表現するだろうか.
「象徴物」に「時間」を付与するものであろうか.
具体的手法についてはこれからいくつも研究していくと思うが,いまのところこんなかんじのことをもやっとふわっと考えているのである.
演出は「シナリオ」に付随するものであり,シナリオは「目的」に付随するものである.
目的をもとに,シナリオを組み上げ,演出する.
これが理想だな,と考えている.
いままでごっちゃにやってきた気がする.
これをちゃんと構成してみたい.
スタンリィ・キューブリックの2001: A Space Odysseyを見始めた.
ちょっとずつ研究していきたい.
25分までセリフがなくて,これはすごいと感じた.
「把握」できているから,「演出」は適切なのだろうな,ということである.
「言葉」に頼らない演出こそが,最終的な理解を助けると僕は考えているので,これはとてもすごいものだ,と思う.
「記号」というものはキィワードのひとつになっていくのだろうな,と思う.
記号に付与される「意味」.
わざわざ「記号」にすることによって,「大雑把な」共通理解を得るようにする.
ということではないか.
記号は,「音」や「音楽」でもありえる.
実は「単語」でもありではあるのかも.
演出に携わると,このかんがえが変わっていくだろうか.
楽しみである.
疲れているので,こんなかんじでまたお茶を濁すことにする.
自明のことかもしれないが,ただの呟きであると思って欲しい.
すべての演出は,「わかりやすさ」なのだろう,と今のところ僕は考えている.
そのためのの手法として,「視線誘導」だったり,「理解しやすい構図」「時間的変化」があったりする.
他にも,レンズを変えるとか,パンとか,いろいろある.
逆に,「わかりにくい」ということを利用する演出もある.
それはたとえば,「敵」,「仲間でない」,「対立の構図」を生み出すものなのであろう.
と,思っている.
では「予感」などはどのように表現するだろうか.
「象徴物」に「時間」を付与するものであろうか.
具体的手法についてはこれからいくつも研究していくと思うが,いまのところこんなかんじのことをもやっとふわっと考えているのである.
演出は「シナリオ」に付随するものであり,シナリオは「目的」に付随するものである.
目的をもとに,シナリオを組み上げ,演出する.
これが理想だな,と考えている.
いままでごっちゃにやってきた気がする.
これをちゃんと構成してみたい.
スタンリィ・キューブリックの2001: A Space Odysseyを見始めた.
ちょっとずつ研究していきたい.
25分までセリフがなくて,これはすごいと感じた.
「把握」できているから,「演出」は適切なのだろうな,ということである.
「言葉」に頼らない演出こそが,最終的な理解を助けると僕は考えているので,これはとてもすごいものだ,と思う.
「記号」というものはキィワードのひとつになっていくのだろうな,と思う.
記号に付与される「意味」.
わざわざ「記号」にすることによって,「大雑把な」共通理解を得るようにする.
ということではないか.
記号は,「音」や「音楽」でもありえる.
実は「単語」でもありではあるのかも.
演出に携わると,このかんがえが変わっていくだろうか.
楽しみである.
疲れているので,こんなかんじでまたお茶を濁すことにする.
2012年7月9日月曜日
歴史の捏造
昨日「ラベリング」と言っておいて話が違うではないか,と思われた方もいるかもしれない(連続して読んでくれている方,ありがとうございます!).
しかし,僕は歴史の捏造というものは,「先入観」や「ラベリング」によって起こるものだ,ということが言えるのではないか,と考えているのだ.
今日は,二つの例をもとにして,これを話したいと思う.
ひとつは,「ルワンダにおける虐殺」で,もう一つは「ギリシャ古代彫刻」の例である.
ルワンダにおける虐殺については,ルワンダの教育大臣と大使の講演を聞く機会があり,その時に勉強したのだけれども,それが報じられた当時,原因となっているのは「フツ族」と「ツチ族」の対立とだ言われていた.しかし,この「民族」同士には本質的差異はなく(遺伝的な差異も認められないという),むしろ「政治的立場」や「生業」によってベルギーなどによる「植民地支配」のやりやすさのために分割されたとされる.植民地経営においては,「フツ」と「ツチ」という民族は別のものである,というような教育がなされたという.
これは「ハム仮説」に基づいているが,ハム仮説は優生学的な考え方に基づいている.
また,この「ハム」というのは創世記におけるノアの3人の息子のうちの一人である.残り2人はセム,ヤペテである.
優生学の根拠の無さについては機会があれば触れることにしたい.
この虐殺は1994年に起こったもので,100日足らずのうちに50万人以上が殺された,というもの.映画「ホテル・ルワンダ」では「ゴキブリどもを殺せ!」などとラジオががなりたてていたのが印象的だった.(いや見るべきところはそこじゃないと思うけれど
殺害されたほとんどが「ツチ」だったといいますが,フツの人たちもいて,「民族対立」というよりはむしろ「政治的対立」が民族対立というラベルで「上塗りされた」ものだと考えることができる.
話が大分それたけれども,ラベルの話としては,「フツ」と「ツチ」の話で,「与えられたラベル」に「従う」ということがありえる,という話をしたくて,この話をしたのであった.
次に,与えられたラベル,という見方で,「大英博物館におけるギリシャ彫刻の改竄事件」を見ていきたいと思う.
本当はルワンダの話をラベリングに「絡めて」する予定だったのだが,それを練っていた時に,NHKスペシャルが背後でやっていて,その内容に寄ろう,と考えたのであった.
内容に関しては参考4を当たってほしい.
簡単に書く.
かつて,ギリシャ芸術はエジプトや西アジアの影響を受けていたことが知られていたという.
しかし,古代ギリシャ芸術に関してWinckelmannは1700年代に「ギリシャ芸術は人類が到達した最高の美」であり,「ヨーロッパの目指すべきはギリシャの模倣である」とした.
その考えは,19世紀にヨーロッパに訪れた古代芸術ブームに対して,ギリシャ芸術が「白い文明で」「純粋で高度なものだ」というイメージを与えたという.
そんな中,古代ギリシャは西洋に権威を与える格好の存在で,ヨーロッパのルーツとして設定され,そう教育されたという.
また,ヨーロッパ(特に英国)では,ヴィクトリア女王のウェディングドレスによって「白」ブームがおき,ギリシャは「純粋」「白」の象徴的存在とみなされるようになったという.
1938年に大英博物館のスポンサーだったDuveen卿は,ギリシャから持ってこられた大理石の彫像(エルギン・マーブル)を,作業員に銅へらなどを用いて「磨かせた」という.この結果,彫像は(くすんだ色の)表面が削られ,彫刻は白くなめらかになったという.表面には「浮き彫り」があったにもかかわらず,それは失われたとも.
これは,観客の「ギリシャは白いものだ」という考えに迎合し,その望むものを作らせたと言われる.
ともかく,「ギリシャは白い」というラベルに対して,現実を曲げて「そうである」と言ったことが(博物館でさえ!)あった,という事実には,とても興味深く見入ったのだった.
以上二つを見てきたが,「歴史」は「ラベル」によって改竄可能である,ということが言えるのではないか.
「ラベリング」は「中身」の性質を変えることもあるのか,たとえば「血液型」などというものに対して作用するか,という話もできるかと思うが,また後の機会があれば,しよう.
「バイアス」なども十分に関わってくるだろう.
・ジェノサイドはいじめと通じるところがあると思う.もうちょっと知りたい.
・RPFって物理の人が言うとRichard P. Feynmanなのよね…
参考
1.ルワンダの紛争とエスニシティ
2.ルワンダの虐殺から考える 東京大学学術俯瞰講義 2007.6.19 - 武内進一
3.NHKスペシャル - 知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ "白い"文明の真実
4.西 村 洋 子 の 雑 記 帳 (16)
5.British damage to Elgin marbles 'irreparable' - Helena Smith / The Guardian 1999/11/12
6.Elgin Marbles - Wikipedia
しかし,僕は歴史の捏造というものは,「先入観」や「ラベリング」によって起こるものだ,ということが言えるのではないか,と考えているのだ.
今日は,二つの例をもとにして,これを話したいと思う.
ひとつは,「ルワンダにおける虐殺」で,もう一つは「ギリシャ古代彫刻」の例である.
ルワンダにおける虐殺については,ルワンダの教育大臣と大使の講演を聞く機会があり,その時に勉強したのだけれども,それが報じられた当時,原因となっているのは「フツ族」と「ツチ族」の対立とだ言われていた.しかし,この「民族」同士には本質的差異はなく(遺伝的な差異も認められないという),むしろ「政治的立場」や「生業」によってベルギーなどによる「植民地支配」のやりやすさのために分割されたとされる.植民地経営においては,「フツ」と「ツチ」という民族は別のものである,というような教育がなされたという.
これは「ハム仮説」に基づいているが,ハム仮説は優生学的な考え方に基づいている.
また,この「ハム」というのは創世記におけるノアの3人の息子のうちの一人である.残り2人はセム,ヤペテである.
優生学の根拠の無さについては機会があれば触れることにしたい.
この虐殺は1994年に起こったもので,100日足らずのうちに50万人以上が殺された,というもの.映画「ホテル・ルワンダ」では「ゴキブリどもを殺せ!」などとラジオががなりたてていたのが印象的だった.(いや見るべきところはそこじゃないと思うけれど
殺害されたほとんどが「ツチ」だったといいますが,フツの人たちもいて,「民族対立」というよりはむしろ「政治的対立」が民族対立というラベルで「上塗りされた」ものだと考えることができる.
話が大分それたけれども,ラベルの話としては,「フツ」と「ツチ」の話で,「与えられたラベル」に「従う」ということがありえる,という話をしたくて,この話をしたのであった.
次に,与えられたラベル,という見方で,「大英博物館におけるギリシャ彫刻の改竄事件」を見ていきたいと思う.
本当はルワンダの話をラベリングに「絡めて」する予定だったのだが,それを練っていた時に,NHKスペシャルが背後でやっていて,その内容に寄ろう,と考えたのであった.
内容に関しては参考4を当たってほしい.
簡単に書く.
かつて,ギリシャ芸術はエジプトや西アジアの影響を受けていたことが知られていたという.
しかし,古代ギリシャ芸術に関してWinckelmannは1700年代に「ギリシャ芸術は人類が到達した最高の美」であり,「ヨーロッパの目指すべきはギリシャの模倣である」とした.
その考えは,19世紀にヨーロッパに訪れた古代芸術ブームに対して,ギリシャ芸術が「白い文明で」「純粋で高度なものだ」というイメージを与えたという.
そんな中,古代ギリシャは西洋に権威を与える格好の存在で,ヨーロッパのルーツとして設定され,そう教育されたという.
また,ヨーロッパ(特に英国)では,ヴィクトリア女王のウェディングドレスによって「白」ブームがおき,ギリシャは「純粋」「白」の象徴的存在とみなされるようになったという.
1938年に大英博物館のスポンサーだったDuveen卿は,ギリシャから持ってこられた大理石の彫像(エルギン・マーブル)を,作業員に銅へらなどを用いて「磨かせた」という.この結果,彫像は(くすんだ色の)表面が削られ,彫刻は白くなめらかになったという.表面には「浮き彫り」があったにもかかわらず,それは失われたとも.
これは,観客の「ギリシャは白いものだ」という考えに迎合し,その望むものを作らせたと言われる.
しかし,実はギリシャの芸術は,むしろ色がふんだんに使われており,ギリシャ人は大理石をキャンパスに用いていたということが「(再)発見」されてきている….
という内容だった.
番組における論理の順番は逆だったりするけれども.ともかく,「ギリシャは白い」というラベルに対して,現実を曲げて「そうである」と言ったことが(博物館でさえ!)あった,という事実には,とても興味深く見入ったのだった.
以上二つを見てきたが,「歴史」は「ラベル」によって改竄可能である,ということが言えるのではないか.
「ラベリング」は「中身」の性質を変えることもあるのか,たとえば「血液型」などというものに対して作用するか,という話もできるかと思うが,また後の機会があれば,しよう.
「バイアス」なども十分に関わってくるだろう.
・ジェノサイドはいじめと通じるところがあると思う.もうちょっと知りたい.
・RPFって物理の人が言うとRichard P. Feynmanなのよね…
参考
1.ルワンダの紛争とエスニシティ
2.ルワンダの虐殺から考える 東京大学学術俯瞰講義 2007.6.19 - 武内進一
3.NHKスペシャル - 知られざる大英博物館 第2集 古代ギリシャ "白い"文明の真実
4.西 村 洋 子 の 雑 記 帳 (16)
5.British damage to Elgin marbles 'irreparable' - Helena Smith / The Guardian 1999/11/12
6.Elgin Marbles - Wikipedia
2012年7月8日日曜日
「公平である」ことについて
科学において,「合理的」で「公平な」判断をする,というのは非常に重要なことである.
ところが,それはむずかしいんだよ,ということが言われる.
バイアス,というやつである.
バイアスの研究は,TverskyとKahnemanによって,多くなされている.
彼らの前には,「合理的選択の理論」というのがあった.
ここに書いてある議論の多くは,伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」から引用している.
バイアスについて,まずは,「典型的なものの頻度を実際以上に評価してしまう」という代表性バイアスがある.
例として,賭博師の誤謬というものがあげられる.
ルーレットにおいて10回赤が出続けた時に,「次は黒が出る可能性のほうが高い」と思う,というようなものだ.
もちろん,ルーレットにおいては一回一回同じ確率で,「赤」と「黒」が出る.「赤ばかりの配列」よりも「赤と黒が混じった」配列のほうがより典型的であるためにこのような思い込みが起こる.
次に,「すぐ思いつくもの,目に付くものの頻度を実際より高く評価する」利用可能性バイアスがある.
たとえば,英単語のうち,rという文字が1文字目に来るものと,3文字目に来るものはどちらのほうが多いだろうか.
Kahnemanらの研究によると,1文字目,と答える人のほうが多かった.
「オペラント条件づけ」と「迷信的思考」は関係している.
お守り,とかゲン担ぎ,とかがこれに当たる.
ハトやマウスにおいて,餌を与える際に動物ののある行動と関連付けて与えると,その動物はその行動を繰り返し行うようになる.この行動は(餌においてではないが)人間でも観察されている.
人間の場合,これに不確定要素を導入したときに(確率的変動など),迷信的連関付けが行われることがわかっている.
基礎比率の無視
これを説明するには,「感染者問題」と呼ばれる問題がある.
以下のようなものだ.
「乳がんの発症率は1%である.患者が乳がんを患っている場合,検査で陽性反応が出る確率は80%である.患っていない場合,陽性反応が出る確率は,10%である.このとき,検査で陽性反応が出た時に,患者が乳がんを患っている確率はどのくらいだろうか?」
ベイズ定理に基づけば,この確率は,
$$\frac{0.01 \times 0.80}{0.01 \times 0.80 + 0.99 \times 0.10} = 0.074$$
となり,約7.5%である.
Eddy(1982)の研究によれば,多くの実験協力者の直感的判断は,75%前後になる.
これは,「条件付き確率」80%に引きずられているためだと考えられる.
この際に,「基礎比率」である「乳がんを患っている」1%を無視してしまうのである.
「今持っている仮説に都合の良い証拠を探したがる」という検証バイアスというものもある.被験者に曖昧さの残る証拠を与えたとき,被験者が念頭に置いている仮説と一致するものはあまり吟味されずに受け入れるが,仮説と矛盾する証拠は厳しく吟味する,というものである.
また,他人の影響もあり,Aschの同調実験という実験でそれが確かめられている.自分以外のすべての被験者が(サクラ)誤った答えを一致して言うと,その答えに引きずられる,ということが知られている.
このように,多くの要因が,公平な判断を阻害していることが理解できるかと思う.
あすは,「ラベリングについて」再考したいと思う.
いつの間にかまた$$LaTeX$$が使えなくなっている…かなしい.
デザインを一新したからなのだろうなぁ…ヘッダに入れてたんだっけ…
--
参考
疑似科学と科学の哲学
確率を用いた推論課題における回答方略の検討
ところが,それはむずかしいんだよ,ということが言われる.
バイアス,というやつである.
バイアスの研究は,TverskyとKahnemanによって,多くなされている.
彼らの前には,「合理的選択の理論」というのがあった.
ここに書いてある議論の多くは,伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」から引用している.
バイアスについて,まずは,「典型的なものの頻度を実際以上に評価してしまう」という代表性バイアスがある.
例として,賭博師の誤謬というものがあげられる.
ルーレットにおいて10回赤が出続けた時に,「次は黒が出る可能性のほうが高い」と思う,というようなものだ.
もちろん,ルーレットにおいては一回一回同じ確率で,「赤」と「黒」が出る.「赤ばかりの配列」よりも「赤と黒が混じった」配列のほうがより典型的であるためにこのような思い込みが起こる.
次に,「すぐ思いつくもの,目に付くものの頻度を実際より高く評価する」利用可能性バイアスがある.
たとえば,英単語のうち,rという文字が1文字目に来るものと,3文字目に来るものはどちらのほうが多いだろうか.
Kahnemanらの研究によると,1文字目,と答える人のほうが多かった.
「オペラント条件づけ」と「迷信的思考」は関係している.
お守り,とかゲン担ぎ,とかがこれに当たる.
ハトやマウスにおいて,餌を与える際に動物ののある行動と関連付けて与えると,その動物はその行動を繰り返し行うようになる.この行動は(餌においてではないが)人間でも観察されている.
人間の場合,これに不確定要素を導入したときに(確率的変動など),迷信的連関付けが行われることがわかっている.
基礎比率の無視
これを説明するには,「感染者問題」と呼ばれる問題がある.
以下のようなものだ.
「乳がんの発症率は1%である.患者が乳がんを患っている場合,検査で陽性反応が出る確率は80%である.患っていない場合,陽性反応が出る確率は,10%である.このとき,検査で陽性反応が出た時に,患者が乳がんを患っている確率はどのくらいだろうか?」
ベイズ定理に基づけば,この確率は,
$$\frac{0.01 \times 0.80}{0.01 \times 0.80 + 0.99 \times 0.10} = 0.074$$
となり,約7.5%である.
Eddy(1982)の研究によれば,多くの実験協力者の直感的判断は,75%前後になる.
これは,「条件付き確率」80%に引きずられているためだと考えられる.
この際に,「基礎比率」である「乳がんを患っている」1%を無視してしまうのである.
「今持っている仮説に都合の良い証拠を探したがる」という検証バイアスというものもある.被験者に曖昧さの残る証拠を与えたとき,被験者が念頭に置いている仮説と一致するものはあまり吟味されずに受け入れるが,仮説と矛盾する証拠は厳しく吟味する,というものである.
また,他人の影響もあり,Aschの同調実験という実験でそれが確かめられている.自分以外のすべての被験者が(サクラ)誤った答えを一致して言うと,その答えに引きずられる,ということが知られている.
このように,多くの要因が,公平な判断を阻害していることが理解できるかと思う.
あすは,「ラベリングについて」再考したいと思う.
いつの間にかまた$$LaTeX$$が使えなくなっている…かなしい.
デザインを一新したからなのだろうなぁ…ヘッダに入れてたんだっけ…
--
参考
疑似科学と科学の哲学
確率を用いた推論課題における回答方略の検討
2011年10月22日土曜日
学習について
twitterに連投したのが見難いので、こちらに貼ります。出典:ブリタニカ百科事典
個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟、披露、その他、器質的、帰納的変化による変容は除かれる。学習に依って形成された反応様式を習慣という。
学習に依って得た行動には、(1)連合学習ないし条件づけによる学習(古典的条件づけおよび道具的条件づけ)、(2)弁別学習、(3)順化(習慣化)、(4)概念形成、(5)課題解決、(6)知覚学習、(7)運動学習、などが含まれる。
模倣、洞察学習、刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。17世紀から20世紀なかばまでの学習理論では、一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し、それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。
あらゆる生物体の行動を、自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと、厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし、1970年代までに、包括的理論には様々な漏れがあることがわかり、学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。1930年代に、心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが、E.ガスリー、C.ハル、E.トールマンによって行われた。ガスリーは、知覚や心理状態ではなく、反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬に依って促進された刺激=反応(S=R)活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し、それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは、学習は行動から推測されたプロせしであるとした。彼らが広めた幾つかのテーマは、現在も議論されている。
連合はそうしたテーマの一つで、主体は環境中の何かを感じ(感覚)、その結果底に存在するものの認識(観念)が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には、時間と空間における物体や出来事の接近、類似性、頻度、特徴、魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で、おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは、強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に、19世紀ロシアの生理学者I.パブロフによって行われた犬がベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし、刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明が出来ず、過度に還元的で、主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主体的な知覚的印象(S=S)が含まれると考える、より「客観的」でないグループの戦闘に立っていた。
もう一つの最近のテーマは、強化である。これは、主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される、との発見を説明するために生れた概念で、強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず、学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば、ゲシュタルト心理学では、重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく、それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており、連合理論では十分に説明できないとされ、代りに、語学学習には何らかの基本的な組織化の構造、おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には、(1)目標の遂行における動機付けの役割、(2)学習段階、(3)すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移、(4)階層、忘却、情報検索のプロセスと本質、が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ、認知、認識意思作用など、軽量化できない概念も探求されている。
学習と記憶のメカニズムは、神経系のおける比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は、明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ、その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は、記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム(シナプスの電気・化学的な変化)によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は、神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。
個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟、披露、その他、器質的、帰納的変化による変容は除かれる。学習に依って形成された反応様式を習慣という。
学習に依って得た行動には、(1)連合学習ないし条件づけによる学習(古典的条件づけおよび道具的条件づけ)、(2)弁別学習、(3)順化(習慣化)、(4)概念形成、(5)課題解決、(6)知覚学習、(7)運動学習、などが含まれる。
模倣、洞察学習、刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。17世紀から20世紀なかばまでの学習理論では、一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し、それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。
あらゆる生物体の行動を、自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと、厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし、1970年代までに、包括的理論には様々な漏れがあることがわかり、学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。1930年代に、心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが、E.ガスリー、C.ハル、E.トールマンによって行われた。ガスリーは、知覚や心理状態ではなく、反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬に依って促進された刺激=反応(S=R)活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し、それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは、学習は行動から推測されたプロせしであるとした。彼らが広めた幾つかのテーマは、現在も議論されている。
連合はそうしたテーマの一つで、主体は環境中の何かを感じ(感覚)、その結果底に存在するものの認識(観念)が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には、時間と空間における物体や出来事の接近、類似性、頻度、特徴、魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で、おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは、強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に、19世紀ロシアの生理学者I.パブロフによって行われた犬がベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし、刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明が出来ず、過度に還元的で、主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主体的な知覚的印象(S=S)が含まれると考える、より「客観的」でないグループの戦闘に立っていた。
もう一つの最近のテーマは、強化である。これは、主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される、との発見を説明するために生れた概念で、強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず、学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば、ゲシュタルト心理学では、重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく、それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており、連合理論では十分に説明できないとされ、代りに、語学学習には何らかの基本的な組織化の構造、おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には、(1)目標の遂行における動機付けの役割、(2)学習段階、(3)すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移、(4)階層、忘却、情報検索のプロセスと本質、が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ、認知、認識意思作用など、軽量化できない概念も探求されている。
学習と記憶のメカニズムは、神経系のおける比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は、明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ、その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は、記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム(シナプスの電気・化学的な変化)によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は、神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。
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