演出に対して,いま,基本的な立場を明確にしておきたいと僕は思った.
自明のことかもしれないが,ただの呟きであると思って欲しい.
すべての演出は,「わかりやすさ」なのだろう,と今のところ僕は考えている.
そのためのの手法として,「視線誘導」だったり,「理解しやすい構図」「時間的変化」があったりする.
他にも,レンズを変えるとか,パンとか,いろいろある.
逆に,「わかりにくい」ということを利用する演出もある.
それはたとえば,「敵」,「仲間でない」,「対立の構図」を生み出すものなのであろう.
と,思っている.
では「予感」などはどのように表現するだろうか.
「象徴物」に「時間」を付与するものであろうか.
具体的手法についてはこれからいくつも研究していくと思うが,いまのところこんなかんじのことをもやっとふわっと考えているのである.
演出は「シナリオ」に付随するものであり,シナリオは「目的」に付随するものである.
目的をもとに,シナリオを組み上げ,演出する.
これが理想だな,と考えている.
いままでごっちゃにやってきた気がする.
これをちゃんと構成してみたい.
スタンリィ・キューブリックの2001: A Space Odysseyを見始めた.
ちょっとずつ研究していきたい.
25分までセリフがなくて,これはすごいと感じた.
「把握」できているから,「演出」は適切なのだろうな,ということである.
「言葉」に頼らない演出こそが,最終的な理解を助けると僕は考えているので,これはとてもすごいものだ,と思う.
「記号」というものはキィワードのひとつになっていくのだろうな,と思う.
記号に付与される「意味」.
わざわざ「記号」にすることによって,「大雑把な」共通理解を得るようにする.
ということではないか.
記号は,「音」や「音楽」でもありえる.
実は「単語」でもありではあるのかも.
演出に携わると,このかんがえが変わっていくだろうか.
楽しみである.
疲れているので,こんなかんじでまたお茶を濁すことにする.
2012年7月11日水曜日
2012年7月8日日曜日
「公平である」ことについて
科学において,「合理的」で「公平な」判断をする,というのは非常に重要なことである.
ところが,それはむずかしいんだよ,ということが言われる.
バイアス,というやつである.
バイアスの研究は,TverskyとKahnemanによって,多くなされている.
彼らの前には,「合理的選択の理論」というのがあった.
ここに書いてある議論の多くは,伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」から引用している.
バイアスについて,まずは,「典型的なものの頻度を実際以上に評価してしまう」という代表性バイアスがある.
例として,賭博師の誤謬というものがあげられる.
ルーレットにおいて10回赤が出続けた時に,「次は黒が出る可能性のほうが高い」と思う,というようなものだ.
もちろん,ルーレットにおいては一回一回同じ確率で,「赤」と「黒」が出る.「赤ばかりの配列」よりも「赤と黒が混じった」配列のほうがより典型的であるためにこのような思い込みが起こる.
次に,「すぐ思いつくもの,目に付くものの頻度を実際より高く評価する」利用可能性バイアスがある.
たとえば,英単語のうち,rという文字が1文字目に来るものと,3文字目に来るものはどちらのほうが多いだろうか.
Kahnemanらの研究によると,1文字目,と答える人のほうが多かった.
「オペラント条件づけ」と「迷信的思考」は関係している.
お守り,とかゲン担ぎ,とかがこれに当たる.
ハトやマウスにおいて,餌を与える際に動物ののある行動と関連付けて与えると,その動物はその行動を繰り返し行うようになる.この行動は(餌においてではないが)人間でも観察されている.
人間の場合,これに不確定要素を導入したときに(確率的変動など),迷信的連関付けが行われることがわかっている.
基礎比率の無視
これを説明するには,「感染者問題」と呼ばれる問題がある.
以下のようなものだ.
「乳がんの発症率は1%である.患者が乳がんを患っている場合,検査で陽性反応が出る確率は80%である.患っていない場合,陽性反応が出る確率は,10%である.このとき,検査で陽性反応が出た時に,患者が乳がんを患っている確率はどのくらいだろうか?」
ベイズ定理に基づけば,この確率は,
$$\frac{0.01 \times 0.80}{0.01 \times 0.80 + 0.99 \times 0.10} = 0.074$$
となり,約7.5%である.
Eddy(1982)の研究によれば,多くの実験協力者の直感的判断は,75%前後になる.
これは,「条件付き確率」80%に引きずられているためだと考えられる.
この際に,「基礎比率」である「乳がんを患っている」1%を無視してしまうのである.
「今持っている仮説に都合の良い証拠を探したがる」という検証バイアスというものもある.被験者に曖昧さの残る証拠を与えたとき,被験者が念頭に置いている仮説と一致するものはあまり吟味されずに受け入れるが,仮説と矛盾する証拠は厳しく吟味する,というものである.
また,他人の影響もあり,Aschの同調実験という実験でそれが確かめられている.自分以外のすべての被験者が(サクラ)誤った答えを一致して言うと,その答えに引きずられる,ということが知られている.
このように,多くの要因が,公平な判断を阻害していることが理解できるかと思う.
あすは,「ラベリングについて」再考したいと思う.
いつの間にかまた$$LaTeX$$が使えなくなっている…かなしい.
デザインを一新したからなのだろうなぁ…ヘッダに入れてたんだっけ…
--
参考
疑似科学と科学の哲学
確率を用いた推論課題における回答方略の検討
ところが,それはむずかしいんだよ,ということが言われる.
バイアス,というやつである.
バイアスの研究は,TverskyとKahnemanによって,多くなされている.
彼らの前には,「合理的選択の理論」というのがあった.
ここに書いてある議論の多くは,伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」から引用している.
バイアスについて,まずは,「典型的なものの頻度を実際以上に評価してしまう」という代表性バイアスがある.
例として,賭博師の誤謬というものがあげられる.
ルーレットにおいて10回赤が出続けた時に,「次は黒が出る可能性のほうが高い」と思う,というようなものだ.
もちろん,ルーレットにおいては一回一回同じ確率で,「赤」と「黒」が出る.「赤ばかりの配列」よりも「赤と黒が混じった」配列のほうがより典型的であるためにこのような思い込みが起こる.
次に,「すぐ思いつくもの,目に付くものの頻度を実際より高く評価する」利用可能性バイアスがある.
たとえば,英単語のうち,rという文字が1文字目に来るものと,3文字目に来るものはどちらのほうが多いだろうか.
Kahnemanらの研究によると,1文字目,と答える人のほうが多かった.
「オペラント条件づけ」と「迷信的思考」は関係している.
お守り,とかゲン担ぎ,とかがこれに当たる.
ハトやマウスにおいて,餌を与える際に動物ののある行動と関連付けて与えると,その動物はその行動を繰り返し行うようになる.この行動は(餌においてではないが)人間でも観察されている.
人間の場合,これに不確定要素を導入したときに(確率的変動など),迷信的連関付けが行われることがわかっている.
基礎比率の無視
これを説明するには,「感染者問題」と呼ばれる問題がある.
以下のようなものだ.
「乳がんの発症率は1%である.患者が乳がんを患っている場合,検査で陽性反応が出る確率は80%である.患っていない場合,陽性反応が出る確率は,10%である.このとき,検査で陽性反応が出た時に,患者が乳がんを患っている確率はどのくらいだろうか?」
ベイズ定理に基づけば,この確率は,
$$\frac{0.01 \times 0.80}{0.01 \times 0.80 + 0.99 \times 0.10} = 0.074$$
となり,約7.5%である.
Eddy(1982)の研究によれば,多くの実験協力者の直感的判断は,75%前後になる.
これは,「条件付き確率」80%に引きずられているためだと考えられる.
この際に,「基礎比率」である「乳がんを患っている」1%を無視してしまうのである.
「今持っている仮説に都合の良い証拠を探したがる」という検証バイアスというものもある.被験者に曖昧さの残る証拠を与えたとき,被験者が念頭に置いている仮説と一致するものはあまり吟味されずに受け入れるが,仮説と矛盾する証拠は厳しく吟味する,というものである.
また,他人の影響もあり,Aschの同調実験という実験でそれが確かめられている.自分以外のすべての被験者が(サクラ)誤った答えを一致して言うと,その答えに引きずられる,ということが知られている.
このように,多くの要因が,公平な判断を阻害していることが理解できるかと思う.
あすは,「ラベリングについて」再考したいと思う.
いつの間にかまた$$LaTeX$$が使えなくなっている…かなしい.
デザインを一新したからなのだろうなぁ…ヘッダに入れてたんだっけ…
--
参考
疑似科学と科学の哲学
確率を用いた推論課題における回答方略の検討
2012年7月4日水曜日
「レールから外れて」生きるために
もくじ
「レールから外れた」ヒトとして
「ラベリング」は単純化
単純化と「レール」の関係
もっと「複雑なラベリング」を!
--
「レールから外れた」ヒトとして
高校までは,あるレールに乗ってきた.
それは,たとえば「私立の中高一貫校で,エスカレータ」というものであったりする.
ところが,受験期に僕は大きな決断をする.
それまでやってきたものを脱ぎ捨て,ブツリなどという奇っ怪極まりないものに手を出すことにしたのだ.
それが,たしか,試験が直前に迫っていた11月だったと思う.
数学は,苦手です.よって物理も苦手です.
その結果として,成績をぽろんぽろんと落としている自分がいるわけだ.
そのまま卒業できないかもしれない,なんて言われている.
そもそも出席が危ういとか.自業自得.
べつに自分の身の上話がしたかったわけではない.
ただ,「レールから外れている立場」のひとが書いてますよ,と主張したかっただけである.
ま,それほど外れているとも言えないのが苦しいけれど.
「ラベリング」は単純化
さて.
最近,「ラベリング」することについて,疑問を感じている.
たとえば,「ゆとり」とか,「老害」とか.
主に否定的ニュアンスを思いつくことができる.
ところが,実際話してみると,「ゆとり世代」であっても「一人ひとり」は違うし,もちろんご老人もそうである.
それは自明のこと…といってもいい…ですよね.
それを一人ひとりについて見ていくと,面倒くさい事この上ないはずで,それを「単純化」するために,「ラベリング」「タグづけ」と呼ばれる操作をするのである.
「値段」とか,「得点」とか,そういうのも「ラベル」の一つに入る.
しかし,「一つのラベル」に頼ると,大変なことが起こる.
たとえば,留年生(過年度生,というらしい)は全員サボっているのだろうか.
若者は全員オタクで全員不良だったりするのだろうか.
僕は,この「ラベリング」について,ヒトコト言いたいことがあるのだ.
単純化と「レール」の関係
さて,上のような内容が「レールから外れる」という話とどう絡んでいくのか.
そもそも,その人はなぜレールからはずれたか,というと,画一的な処理からはじき出されたからであって,画一的な処理はある一つの,あるいは少数のラベリングによって行われることが多い.
たとえば,「テストの点数」なんてラベリングの最たるものではないか.
もっと「複雑なラベリング」を!
「一つのラベルに頼ること」の危険性は,さっき述べた.
理想的には,ラベルなんてなく,ただ「そのもの」を認識する,というのがいいのだろうが,我々の認識の仕組みとして,おそらく不可能ではないか,と思える.「ラベルを多く貼る」というのが現実的な解ではないだろうか.
最近は,ビッグデータの時代と言われる.
ビッグデータは,たとえばamazonのような,「顧客の情報」を収集し,整理し,その上で顧客にフィードバックする,というようなところに使われる.
そのビッグデータとして,多くのラベルを使い,そして人やモノゴトを「評価」できないか,という考えを表明して,今日のところは終える.
「評価すること」,「バイアス」,「ラベルの時間変化」についてはまた考察したいと思う.
この問題に付随するものとして,「政党政治」,「リスクマネジメント」などがあるだろう.「評価」をする部分だ.
「レールから外れた」ヒトとして
「ラベリング」は単純化
単純化と「レール」の関係
もっと「複雑なラベリング」を!
--
「レールから外れた」ヒトとして
高校までは,あるレールに乗ってきた.
それは,たとえば「私立の中高一貫校で,エスカレータ」というものであったりする.
ところが,受験期に僕は大きな決断をする.
それまでやってきたものを脱ぎ捨て,ブツリなどという奇っ怪極まりないものに手を出すことにしたのだ.
それが,たしか,試験が直前に迫っていた11月だったと思う.
数学は,苦手です.よって物理も苦手です.
その結果として,成績をぽろんぽろんと落としている自分がいるわけだ.
そのまま卒業できないかもしれない,なんて言われている.
そもそも出席が危ういとか.自業自得.
べつに自分の身の上話がしたかったわけではない.
ただ,「レールから外れている立場」のひとが書いてますよ,と主張したかっただけである.
ま,それほど外れているとも言えないのが苦しいけれど.
「ラベリング」は単純化
さて.
最近,「ラベリング」することについて,疑問を感じている.
たとえば,「ゆとり」とか,「老害」とか.
主に否定的ニュアンスを思いつくことができる.
ところが,実際話してみると,「ゆとり世代」であっても「一人ひとり」は違うし,もちろんご老人もそうである.
それは自明のこと…といってもいい…ですよね.
それを一人ひとりについて見ていくと,面倒くさい事この上ないはずで,それを「単純化」するために,「ラベリング」「タグづけ」と呼ばれる操作をするのである.
「値段」とか,「得点」とか,そういうのも「ラベル」の一つに入る.
しかし,「一つのラベル」に頼ると,大変なことが起こる.
たとえば,留年生(過年度生,というらしい)は全員サボっているのだろうか.
若者は全員オタクで全員不良だったりするのだろうか.
僕は,この「ラベリング」について,ヒトコト言いたいことがあるのだ.
単純化と「レール」の関係
さて,上のような内容が「レールから外れる」という話とどう絡んでいくのか.
そもそも,その人はなぜレールからはずれたか,というと,画一的な処理からはじき出されたからであって,画一的な処理はある一つの,あるいは少数のラベリングによって行われることが多い.
たとえば,「テストの点数」なんてラベリングの最たるものではないか.
もっと「複雑なラベリング」を!
「一つのラベルに頼ること」の危険性は,さっき述べた.
理想的には,ラベルなんてなく,ただ「そのもの」を認識する,というのがいいのだろうが,我々の認識の仕組みとして,おそらく不可能ではないか,と思える.「ラベルを多く貼る」というのが現実的な解ではないだろうか.
最近は,ビッグデータの時代と言われる.
ビッグデータは,たとえばamazonのような,「顧客の情報」を収集し,整理し,その上で顧客にフィードバックする,というようなところに使われる.
そのビッグデータとして,多くのラベルを使い,そして人やモノゴトを「評価」できないか,という考えを表明して,今日のところは終える.
「評価すること」,「バイアス」,「ラベルの時間変化」についてはまた考察したいと思う.
この問題に付随するものとして,「政党政治」,「リスクマネジメント」などがあるだろう.「評価」をする部分だ.
登録:
投稿 (Atom)