2012年3月29日木曜日

パッサカリア

Passacagliaとは,音楽の形式で,古い舞曲ですね.
スペイン語から来たイタリア語で,通りを歩く,ってな感じですね.

基本的には3拍子で,低音が同じフレーズを繰り返し演奏し(basso ostinato),そこに乗せて演奏される曲で,変奏曲ですよね.
Ciacconaと混同されますね.ってか違いはなんなんです?

なぜこんな話をしたかというと,最近Händelのパッサカリアにハマってるからなんですね.
もーこれはすごい.
頭の中一日中流れていて,中毒ですよ.
排除できない.どーしてこういうあたまなんでしょうねー.
こういうのを,日本語では,「あやしうこそものぐるおしけれ」という.


まぁ,いろいろ聞いてみましたが,その中でお気に入りをひとつ.
1897年,Halvorsen(ノルウェーのヴァイオリニスト)編曲.楽譜はこちら.(PDFが開きます)
PerlmanとZukermanの演奏です.
若い時のもあるけれど,やっぱりこれが一番かな,と.
1997年,イスラエルフィルハーモニックオーケストラの60周年ガラ・コンサートにて.





それと,原曲を.



(4:08から)
ハープシコード組曲7番 HWV.432 6楽章.
1720年出版.


Händelはこのテーマが好きだったのかもしれない,なんて想像したりします.
オルガン協奏曲(作品7)HWV.306 の1番でも使われていますし.
(動画は0:29から,テーマは3:16から)



どうでもいい話ですが,僕はちいさいころ,BMWとBWV,HMVとHWVを混同していました.
まぁ,そんなこともあるよねw

では,また.

2012年3月26日月曜日

日記的な使い方

最近,かけることが少ないんですよ.
調査が必要なことが多くて…

この前の「ダイコントライボロジー」にしろ,「モチツキリキガク」にしても,粉粒体だの流体だの,トライボロジーだの勉強し始めたら泥沼にハマるという非常になんかこう,ハイ.


それでですね,日記的な使い方をすれば良いという考えに至りましてですね,(それをやるのがblogのはずだ)ちょっと使ってみようかと思いました.


昨日いったところでも書きますか.
昨日は,地下鉄博物館に行ったんですよ.
いっぱいちびっ子がいたね.

環七を下るバスが早くて,そして安くて,びっくりしました.
鉄道の不備,だね.
ぜひ環七下には鉄道がほしい.特に赤羽方面(今回は関係ないけどねw:大学が近くなるので)


地下鉄博物館は,やっぱり,物理とか学んでいくと違うな,という印象でした,が,たぶん,土木工学とかやってたらもっと楽しめたと思います.
今回の目的は,「丸ノ内線50周年特別展」的な何かを見るためだったんですけれど,それはまぁ,「悪くなかった」です.
入場料大人210円とかなり良心的でしたねー.
写真は掲載できるものがあればしましょうか.

その後博物館の図書館に入って,何かを読んだのですがなんだっけ.地下鉄の建設技術史でしたっけ.検索しても出てこないので多分違うw
なんだっけ….


あとは銀座に移動したんですよ.
いや,RICOHのカメラが使えるかなー,と.
使えなかったんですけれど.



それで,仕方なしにYAMAHAに行ったのだけれども,ここでカーボン製の弓などというものを発見してしまって,何本か(楽器も借りて)試奏してみたんだけれども,適切に重みがあって素敵でした.
そういう弾き方もできるのか,という感じで,悪くない.
まぁ,少々お高くなっているんですけどね,それはしかたない.楽器だもの.
3本使ってみたのですが,その中でも,21万何千円のものがよかったな.
39万円台のやつもあったのですがね.
体全体で弾く,を実感したよね.奏法は道具に規定されるような気が,した.

また自分の楽器を持って弾きに言ってみようかしらね.


あとは銀座の「はしご」という店の,餃子が美味しかったですねー.お酢って,こういうものなんだ,などと思いました.



ってな昨日でした.

2012年1月11日水曜日

モチツクリキガク1

どうしてこんなに専門じゃない領域を扱おうとするのかね僕は.
しかし,まぁまだ,なんの専門家じゃないしね.
でもしかし,専門でない故に,大したことは書けない.でも書きたい.
いつか加筆修正することがあるのを願って.

さて,「なんちゃってロゲルギスト」の第二弾は,餅つき,である.
昨日大根おろしをテーマにしたし.

最近は,正月に飾る餅や,雑煮の餅といえば,どこかで購入するものなのだろうか.
うちでは,餅はつくものである.
杵と臼を使って.
そんなやり方を,誰が考えだしたのだろうか.
今回は,もちはどのようなプロセスを踏んで食用に供されるか,ということと,各段階においてどのような変化が起こっているのか,ということを考察していきたい.

1.もちが食べられるようになるまで
餅の定義を追っていたら,まぁ,wikipediaの詳しいこと….歴史まで書いてあるよ.びっくりだよ.wikipediaによれば,「餅(もち)とは、穀物、特に米に水分と熱を加えた後に、外力を加えて練り合わせ、成形した食品の一種。」だそうで,搗き餅(つきもち)と練り餅があるという.今回取り上げたいのは,つき餅である.
wikipediaには餅のつき方も載っていた.なんというサイト.面倒くさいので詳しいのでそれを使わせてもらおう.
  1. 餅つきをする前に、杵の頭が欠けたり木片が餅に入るのを防ぐために、水を張った桶(おけ)の中に杵の頭を漬けて水分を含ませておく。木臼の場合はよく洗い、臼に水を張って水分を含ませておく。乾いた状態のまま杵でつくと臼が割れる場合がある。
  2. もち米は水洗いし、6~8時間程度水に浸し、ザルに開けて水切りをする。
  3. 蒸し器の蒸篭に清潔なサラシやサラシより粗めの蒸し布を敷き、水切りしたもち米を開けて蒸し布でくるんだ後、蒸す。炊けた状態は、蟹(かに)の穴と呼ばれる孔が表面に見えるか、箸を挿してもち米が付着しなければ良いとされるが、米の芯が残っていない赤飯程度の固さに炊けていれば良い。
  4. 蒸し器がない場合は炊飯器のもち米の指標を選択すれば足りる。
  5. 炊けたもち米は蒸し布に包んだまま臼の中にあける。この時の米の状態は祝いごとの時に食べる赤飯と同じか、若干固い程度である。
  6. 臼にあけたもち米は、臼の外周に沿って杵の柄を腰に当てるか沿わせて体重をかけ、もち米を臼に圧し付ける。適宜、ヘラやしゃもじを用いて裏返し、満遍なく手早く粘りを出すようにする。
  7. もち米全体がヘラやしゃもじで持ち上げたときに一体になる程度に粘りが出始めたらつき始めの目安とする。最低限度の状態としては杵でついたときに蒸した米が飛散しない程度である。この時の表面は米の形が識別できるものと餅状になったものが混ざった状態である。
  8. 日常的に目にする餅つきのように杵でつき始めるが、粘りが増すごとに杵と餅がくっつくので手水(てみず)する。手水とはあらかじめ桶に水を入れておき、手を水で濡らし餅の表面に水分を与えることである。なお、蒸して数分しか経過していないため、表面は炊きたてのご飯と同じで相当に熱く、餅の表面を濡れた手のひらで叩く程度で良い。
  9. 手水が多いと、餅をついている最中は柔らかいが、後で延ばしたり成形するときに固くなりやすく、先々カビが生えやすくなる。
  10. つき終わった餅は餅取り粉をまぶした板の上に置き、好みの形状に成形する。
  11. 餅つきが終わった後の杵と臼はタワシ等で表面の餅を必ず取り去る。


何回も言うようだが,なんて詳しいんでしょう!
まぁ,こういう訳である.

つまり,もち米に水を含ませ,蒸し,適量水を含ませながら,粘り気を出させ,また粒体を粘性の高い流体にするということだろう.というより,数百のものをひとつにするのである.自己接着,とでも言うべき現象だろうか.昨日,接着の定義について触れたと思うが,それは,簡単にいえば,2つのものを1つとして扱えるということだった.アミロペクチンの凄さよ!

ところで,粒体とはなんだろうか.
粒体は,粒のあつまりである.粉と粒とをあわせて,粉粒体と言ったり,粉のあつまりのことを粉体と言ったりする.粒は,肉眼で識別できる大きさのものをいう.とある.まぁ,もち米の粒は「粒」くらいに細かいわけではけれども,細かいことを気にしてはいかん(うまいこと言ったつもり).米粒っていうしね.

さて続きはまたこんど.
(つづく)

ところで,江戸時代頃までは縦杵を使っていたというのに,なぜ横杵がつかわれるようになったのか,知りたいなぁ.
しかし,力学的に考えると,やはり横杵の方が効率がよさそうだ.それも次回以降.



参考(加筆されていきます)
濱田信夫(大阪市立環境科学研究所) - モチとカビの歴史
http://www.kjknpo.com/html_j/bukai/boukin/pdf/mochi-moldsub.pdf
wikipedia - 餅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%85
wikipedia - 杵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B5
東芝科学館 - 歴史 - 東芝一号機ものがたり - 日本初の家庭用餅つき機
http://kagakukan.toshiba.co.jp/manabu/history/1goki/1971ricecake/index_j.html

九州大学 理学研究院 物理学部門 統計物理学研究室
中西 秀先生 - ダイラタント流体、ダイラタンシー(読んでます)
http://www.stat.phys.kyushu-u.ac.jp/~nakanisi/Physics/Dilatancy/
EMANの物理学 - 「撃力近似」批判(未読)
http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/impact.html

中央大学理工学部物理学科田口善弘先生の運営するページ
Powder Page(未読)
http://www.granular.com/
石臼 & 粉体工学(一部未読)
http://bigai.world.coocan.jp/msand/powder/j_index.html

関係ないけれど検索の過程で出てきた興味深いもの:
「多孔質ファインセラミクス」の産業技術の系統化
http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/046.pdf


ここに問い合わせようかと思っている:全国餅工業協同組合
http://www.omochi100.jp/toiawase/index.html


ところで,前回書けなかったが,大根おろしと大根では味が違うのか,なぜ違うのか,成分は異なるか(え?)なども調べてみたいことではある.



2012年1月9日月曜日

ダイコントライボロジー

このblogを読んでくださっている方,ありがとうございます.
昨年より引き続き,月に1回以上くらいのペースで更新していきたいと思います.
本年もどうぞよろしくお願いします.


さて,年明け最初のタイトルは「すりおろしのトライボロジー」改め,「ダイコントライボロジー」です.

もちつきをね,正月になる前にしたんですが,その時に,大根おろしをつくりましてね….

はて,トライボロジーとはなんでしょうか.
トライボロジーの定義は,
Tribology is the science and technolgy of interacting surfaces in relative motion and of related subjects and practices.
となっており,訳すと,「相対運動の中で相互作用しあう(二)表面と,またそれに関連する問題と実際の,科学と技術」であるこれは,1966年イギリス教育科学省の委員会で制定されている.まぁ,広く言えば,「潤滑」とか,そういう話しである.

関わってくる分野としては,摩擦,摩耗,軸受,機械装置などが対象になり,機械工学,物理学,化学,材料科学などが含まれる.最近はやりの学際領域ってやつだ.

考えてみればいろいろなところに二表面が存在する.地震だってマクロに見れば二表面が相互作用しているのだろう.災害においては,地すべりや雪崩なども,もしかしたらそうかもしれない.流体も粘性をもち,表面と作用することから,これもトライボロジーで扱われているのだろう(きっと).原子力発電所で,配管が削れる事故とか,かつてあったかと思う.小学生の頃のニュースだったかしら.もっと身近には,ブレーキとか,靴底とか,タイヤとか,そういうところにもある.我々は,摩擦のある世界に生きているのだなぁ,と改めて思う.

ところで似た世界に,「接着」を扱う人々がいる.日本接着学会のページから引用する.
接着を「2つ以上の物体をある材料を用いて一体化し、外部からの刺激に対し一体として反応させるようにすること」と定義すれば、接着学はこの一体化の学理を究め、その反応を応用開発する学問体系といえる。
接着現象は被着体の固体表面の物性のみならず接着剤として用いる固体あるいは液体の物性にも密接に関係しており、これらは高分子化学、物理化学、界面化学の学問体系に関連づけられる。さらに接着を対象とする材料も、高分子はもとより金属、木材、セラミック、それらを複合した材料などきわめて多くの種類にわたっており、これらの材料の物性は材料工学の学問体系に関連づけられる。
一方、接着の応用技術を考えてみると、航空宇宙機器、自動車、橋梁、家屋、農業、医療、電気、電子機器、包装などほとんどあらゆる産業分野で接着が応用されている。
このように、たとえば接着に関連する学問体系を縦糸、応用技術を横糸とすると接着学は大きな織布を形成しており、これほど広範囲を包含する学問体系はほかに見あたらない。
ふむふむ.つまり,何らかの物質を用いて二つの物体を相対運動しないようにするということだ.相対運動が歩かないかによってトライボロジーと接着が変わってくる,ということ…なのかしらね.


それで,ダイコンについて気になったのは,このダイコンが削れる仕組みである.
それについてちょっと検索していたらこんなものが出てきてしまった…ちょっと読みたいw
http://157.1.40.181/naid/10024785542#ref

気を取り直して,荷重と接線力,それに対しての変形と,摩擦,摩耗を考えてやる必要がある.
摩耗に関しては,おそらくアブレシブ摩耗,というやつなのだろう.摩擦について考えるなら,間に流体みたいなものが発生するので,その潤滑効果も考えてあげる必要がある.

今回問題にしたいのはなぜ削れるか,なので摩耗である.
摩耗は,機械的な作用による材料表面からの物質の逐次減少と定義される.
そのうちアプレシブ摩耗は,「硬くて粗い面又は硬い粒子がやわらかい相手面を切削することにより生じる摩耗」であり,これ,摩耗させたいときに使うんだよね…?w
今回は,固定された切削材料が,ダイコンの断面を削っていく.これを二元摩耗という(粒子が表面の間に入ると三元摩耗になる).

一つの突起がダイコンを摩耗させると考え,突起を円錐だと仮定し,切削された表面とされる前との表面の高さの差を$d$ ,円錐角を$\theta$ ,高さ$d$ における円錐の半径を$r$ とすると,摩耗される体積は,単位(すべり)距離あたり,$$rd = r^2 \cot \theta$$となる.一つの突起が支える荷重は,(単位長さあたり荷重,あるいは最大接触圧力,あるいは)硬さ$p_0$ を用いて,$$\frac{\pi r^2 p_0}{2}$$
また,$n$ 個の突起がある場合,全突起が支える荷重$W$
$$W = \frac{n \pi r^2 p_0}{2} \rightarrow nr^2 = \frac{2W}{\pi p_0}$$
$n$ 個の突起による単位すべり距離当りの摩耗体積$Q$
$$Q = n r^2 \cot \theta = \frac{2W}{\pi p_0} \cot \theta$$
すべり距離$l$ の間の摩耗体積$V$
$$V = Q \cdot l = w' \frac{Wl}{p_0}$$
となっている.

さて,おろし金の突起はマクロに見れば,円状にならんだものになる.
摩耗面も,たしかに平行に筋が入る.
これに有効な突起の数はいくつだろう…

ちょっと時間がなくなってきたので割愛しようと思うが,どのくらい,どの方向に押せば最も削れるかが知りたかったのだ本当は…こんど実験すべきなのかもしれない.


最後はグダグダになった.
しかし,このblogでも$\LaTeX$が使えるようになった.やったね!(そこに大部分の時間を使ってしまった)



遅くなりましたが,新年明けましておめでとうございます.
今年も皆さんにとって幸多き年でありますように.

参考:http://www2.kaiyodai.ac.jp/~jibiki/ouriki/text/tribology_text.pdf
など

2011年11月7日月曜日

観劇

昨日、劇工舎プリズム第57回公演『Nightfall』を見に行った。

感想を、覚えているうちに、ひっそりと書きたいと思う。
というか、なんか思考の結果、みたいなやつかな。


【演出論】
僕の中で、この演劇の大きなテーマとしては、「なんとかタルト」と「成長・変化」とだったのだろうな、と思った。
なんとかタルト、というのはゲシュタルトのことで、認識してしまうことを言っている。決して猫のタルトとかではない。
成長は、時間発展していく世界を生きる僕達にとっては当然のことなのだけれど、普段あまり意識していないこと。
併せて、覆水盆に返らず、ということも含んでいる。
この話にはおそらく、後悔がなかった。
すくなくとも、セリフには。
もちろん裏に抱えているものはあるだろうけれどね。

でも、それはこの物語の、とても素敵なことではないかな、と思う。


見えないものが見える、というのは昼と夜の関係に象徴されていて、暗くなって何が見えるか、というと、星が見えた。
なるほど、空には星があるのかと、知る。


いろいろと細かいことは気になったものの、全体としてかなり完成度が高く、そして僕は二度目の暗闇で不覚にも泣いた。暗闇でよかった。


【開演までの時系列順感想】
今回、駒場小空間には初めて行った。これは大変にすばらしいところですね。さすが東京大学お金がある…
靴を脱いで観劇したのも初めて。
ちなみに、僕は靴が苦手なので、これはとてもよかった(謎
あったかくむれるんだよね、靴履いていると。

その空間に入ると、扉があった。この扉が後にあんなことになるとは想像していなかったのである。
だめだよ構成部材は強度を考えないと…w
敷居を踏んでいる人も結構いたしな…まぁ、そんなことはどうでもよろしい。
いや、あとでまた話にでてきますけど。ごめんね美術さん。

その扉をくぐり、客席へ。客席は、サントリーホールのように、舞台を見下ろすようにして、両側にあった。

しばらくすると、注意事項が読まれ、演技がはじまる。
注意事項は二人によって(互いに面している客席に向かって)読まれたが、この声がピタリ合っていて、こいつらただもんじゃないな、と思った。
居住まいをただした。

そして開演。
いや、なんか開演(開園?w)したという雰囲気なしに、ラジオの音声が流れ(7時のニュースです)、いつのまにか演技が始まっていた。こういう始まり方もありなんだな、と思った。
その後もう一回注意事項が読まれたのだが、そちらは別に合っていなかった。
努力はしていたね。


【演技について】
演技は、声もしっかり出ていて(喉は大事にしよう、でも聞こえたから大丈夫)、動きもダイナミックかつピシリ、ととめるところはとめていて、素晴らしかったと思う。

明るいところの演技は、多少つたないところがあるものもいたものの、全体として感情表現、日常動作、動きの理由付けなど、よかったと思う。また、キャラクタを的確に動きと声で表現できていたのではないだろうか。これは脚本のことになるが、ちゃんとキャラクタの対応付けや、関係性の変化、示唆にとんだ言葉など、しっかり追っていてさすがだなと思った。
ちなみに僕のお気に入りは「えんちょ/うしさん」である。カンパも彼にしたw

距離感はどうだろうか…ほとんどはいいと思うが、測りきれていないところもあるように感じた。それは物理的距離として。

個人的には、暗いときと明るい時で動きに違いがあり、暗い時に静と動を組み合わせて強調していて、これはなんだろう、と思った。自然ではない動き。心理の描写か。
しかしこれは、後に明らかになるが、劇中作ということに由来しているのではないだろうか。
つまり、動物たちとむすめによるところ、というのは人間関係を描いた絵本、という解釈も可能だ。
これはこじつけ。

前半に動きのダイナミックなところを見せていたため、後半の孤独が浮き立つようになった。また、動きがピシリピシリとしていたことによって、「むすめ」のフラフラとした動きが強調されたと思う。

アドリブに正直ちょっと感心した。


【脚本・演出について】
アシモフの焼き直しだという。

外部と内部、二重に劇が展開する、というのは、かなり挑戦的だと思う。そして、脚本の書き方は気になる。同時のシーンを別々に分けて書いたのかな。
あのようなシーンではアドリブがどのくらいあったのか?
同時性を短い伏線として使うというのは、なかなかやるな、と思った。

「壁なし」の外部、内部で壁を想像させるという演出には、驚いた。
すごいなと思う。
映画でもそういう演出ができるだろうか。
やっているものがあればぜひ教えていただきたいものだが。
あれが「演劇の嘘」ってやつだな、と。
映画の嘘、というものもある。

出席簿がいつまで出ているのか、などと気になるところはあった。

また、さっきも言ったように、暗いシーンと明るいシーンがある。あれは、トランジションをする時()に「暗闇」が発生してしまうために考えられた、と僕は考えている。
「理由ある移動」だ。あれはとてもすごい発想だと思う。
まさか演劇ですべてのシーンが連続性を伴うとは。
その発想は全然、全く、未だかつて、なかった。
驚愕した。
ちなみに、そうでなくても、暗いシーンはとても効果的に使われていた。
ちなみに明るいシーンのセリフがそれを継いでいたこともしばしばで、それも面白かった。

ところで暗いシーンの時に手に持っていた明かりには、3種類あったが、あれは意味があったのだろうか。ちょっとわからない。そういえば、それの点灯/消灯のタイミングが音楽におそらく合わせていたのだろうが、よかったね。

時間のとり方は、本当にうまかった。台詞の間もそうだし、止めている時間もそうだ。暗闇もね。

劇中作である、というところに、最後震えた。
なぜか知らないけれど震えた。
僕はそういうどんでん返しは大好きだ。




【照明について】
明るいシーンについては普段と変わらないであろうから、暗いところについて述べる。
良い影の出来方だった。また、見やすかった。対角線に入れた光が特によろしかった。

最後の陽が沈むシーンは、とても色がざらついていて効果的だったし、星は(おそらく星だろうと思っている)、全体にわたって、見やすかったし、それだとわかった。客席に照明するという発想があるのですね。


【音響について】
ラジオは聞き取りづらかった。まぁ、あれはSEのようなものだろうから、しようがないとは思っている。
暗闇で、音楽をとても大きく入れたのは、大正解であろう。
また、暗いシーンのみで音を入れるという判断もよろしい。
曲も、BGとしてよかった。オリジナルなのかな。


【小道具、美術について】
とても綺麗な小道具や美術であった。
次回から部材強度については検討すべきだが、それ以外は良いのではないか。
僕は、あの事故がおこった瞬間に、美術監督か誰かが、脚本を確認して、扉を使うところすべてを書きだして、それまでになにかしらの修理を(暗いところのシーンの一部の照明を切るなどして)やるのかと思った。
しかし、1900公演までに修理するという仕事が発生したわけで、それはそれで大変だろうな、と思う。
そういう時間ギリギリの火事場の馬鹿力的なやつは好きだ。
反省はあるにせよ、いい打ち上げになったことだろう。





僕も学生の身であり、しかもかなり自由に生きている気がするので(故に制約を感じている)、「そんなんでいられるのは学生の間だけだ」とか、ぐさり、とくるセリフがあったりした。
「やりたいこと」や「やるべきこと」についても、いつも考えてたりする。
演じている彼らには、そういうものがあるだろうか。

この演劇をやるために、どれだけの努力があったことだろうか。
とても、よく、わかる。
一本の映画に、身を投じる、ということをやってきたから。
作品としては、圧倒的に、この演劇のほうがすごいのだけれど、僕も、こうやって人を感動させる作品を、いつか作りたい。


いつか僕も、このpax universitasのごとき、学生時代を抜けだして、どこかの世界で仕事をもち、働くことになるのだろう。
そのときのためにも、僕も努力をしていかなければならないな、と再確認した。

ありがとう。劇工舎プリズム。

2011年10月22日土曜日

学習について

twitterに連投したのが見難いので、こちらに貼ります。出典:ブリタニカ百科事典

個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟、披露、その他、器質的、帰納的変化による変容は除かれる。学習に依って形成された反応様式を習慣という。
学習に依って得た行動には、(1)連合学習ないし条件づけによる学習(古典的条件づけおよび道具的条件づけ)、(2)弁別学習、(3)順化(習慣化)、(4)概念形成、(5)課題解決、(6)知覚学習、(7)運動学習、などが含まれる。
模倣、洞察学習、刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。17世紀から20世紀なかばまでの学習理論では、一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し、それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。
あらゆる生物体の行動を、自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと、厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし、1970年代までに、包括的理論には様々な漏れがあることがわかり、学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。1930年代に、心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが、E.ガスリー、C.ハル、E.トールマンによって行われた。ガスリーは、知覚や心理状態ではなく、反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬に依って促進された刺激=反応(S=R)活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し、それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは、学習は行動から推測されたプロせしであるとした。彼らが広めた幾つかのテーマは、現在も議論されている。

連合はそうしたテーマの一つで、主体は環境中の何かを感じ(感覚)、その結果底に存在するものの認識(観念)が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には、時間と空間における物体や出来事の接近、類似性、頻度、特徴、魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で、おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは、強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に、19世紀ロシアの生理学者I.パブロフによって行われた犬がベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし、刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明が出来ず、過度に還元的で、主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主体的な知覚的印象(S=S)が含まれると考える、より「客観的」でないグループの戦闘に立っていた。
もう一つの最近のテーマは、強化である。これは、主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される、との発見を説明するために生れた概念で、強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず、学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば、ゲシュタルト心理学では、重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく、それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており、連合理論では十分に説明できないとされ、代りに、語学学習には何らかの基本的な組織化の構造、おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には、(1)目標の遂行における動機付けの役割、(2)学習段階、(3)すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移、(4)階層、忘却、情報検索のプロセスと本質、が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ、認知、認識意思作用など、軽量化できない概念も探求されている。

学習と記憶のメカニズムは、神経系のおける比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は、明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ、その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は、記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム(シナプスの電気・化学的な変化)によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は、神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。

2011年10月16日日曜日

伊勢田哲治 「疑似科学と科学の哲学」

友人に借りて、この本を読んだ。
読み方としては、懐疑的な読み方ではなく、ふんふん、という程度だが。


疑似科学と科学の哲学


本の内容は、以下のようであった。

「科学とは何者であるか」というのを研究するのが科学哲学であるが、その科学の性質を「科学なようで科学でない」疑似科学(えせかがく、ではないよ。えせは「似非」と書きますよ念の為)との比較によってあぶり出そう、というのがこの本の主題である。この「科学と疑似科学をいかにして分けるか」という問題を「線引き問題」という。

この本では、まず「昔は科学の一部であった」創造科学(創造が神によって行われ、その後洪水が起きて…という聖書の文言を基本的に正しいとするもの)や、「占星術」などを引き合いに出して、これらの論理にどのような「ずるさ」があるのか(我々は、これを主張する者たちに一種のずるさを感じているはずだ)、ということを議論し、帰納主義、反証主義、方法論的反証主義、還元主義、パラダイム論について書き、過小決定の問題(観察によって仮説が検証されないという問題)、理論負荷性の問題について、語っている。

科学哲学を学んだのははじめてだが、この中では特に、反証主義とパラダイム論は科学哲学の発展に多くの寄与をしたのだろうと思われる。パラダイム論の所で、クーンのパラダイム選択にあたっての基準として
1.実験や観察との一致
2.内部の無矛盾性および確立されたほかの理論との無矛盾性
3.応用範囲の広さ
4.単純性(オッカムの剃刀)
5.豊穣性(それによって何らかの新しい側面が見えてくるか?)
をあげている。

その後、リサーチプログラム論、リサーチトラディション論が派生してくるということが述べられている。


また、「実在」について、「電子なるものの存在」と、「超能力の存在」を引き合いに、科学理論においてその対象が存在するのか? という問題を問うている。
ここで出てくるのが、科学的実在論、奇跡論法(そういえば田崎先生は奇跡論法の使い手だった気がする)、懐疑主義、悲観的帰納法で、また反実在論として、操作主義、道具主義、構成的経験主義がある。
この後者の反実在論たち、僕は意外と好きだ。
とくに、構成的経験主義はいいと思う。ただ、その現象名をたとえば「電子の~」と呼ぶことも全然ありだと思う。

そういえば、田崎先生の「統計力学I」を読み始めたのだが、その中で、オストヴァルトが分子の実在を信用していく様子が書かれていた。それもまた面白い。


さらに本は代替医療へと進み、マートン流科学社会学、アナーキズム、相対主義を議論する。相対主義にもやはり批判はあり、これへの批判が展開される。

そして話は統計、特にベイズ統計をほぼ文字だけで(なんてこった)語り、最後に、筆者が「線引き問題」について語って終わる。


(線引き問題について)この考えはあった、という意味で、最後の文に、ちょっぴり感動したのであった。
もう一度読んで新たな発見をしないと、とも思うが、そろそろ返さなければならない。
輪講は、してもいいね。


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ということで、そろそろ返すよこの本。ちょっとぼろぼろかもだけど。
いや、新しいのを買って君に渡したほうがいいのなら、そうする。

まあ、夜も更けてきましたな。
友人の予言通り、ブログは書き上げました。
でもその先予言通りにならないよう、早く起きたいと思います。


久しぶりの更新でした。