2011年9月1日木曜日

そして22話

追うんですかこのアニメをこのブログで?w
自分でも突っ込みたいよ全く。


アニメの作り方として、声のほうが前に来るべきではないか、と思うほど声優が良い。
あるいは、演出しっかりしてくれー、といいたくなる。

横顔は、おそらく感情を映し出しはしない。
もうちょっと斜めのカットにすべきだったんだ…!
まあ、言ってもしょうがない。
し、他のところの演出がいいから、突っ込みたくなっているだけ。
最後のパンナップとか本当に印象的。

一応、ダレ場回。
だがクライマックスというとても素敵な22話。

以下ネタバレなんだけど

++++++

エンドロール後に、ようやく、1話の伏線が解消されることとなりそうな気配があった。

牧瀬紅莉栖を殺すのは、おそらく、鈴なのではないか…な。
「橋田至の娘、阿万音鈴羽!」だって?
やはり、ラジカンの屋上にいたのは、鈴羽だった。
そして本当に「元の世界線」に戻っているらしい。

同時に存在できる、ということだね。
いや、確かに存在できると言われていたけど。タイターによっては。


戻った世界線でのダイバージェンスは1%を超えている(なんのこっちゃ)が、おそらく、おそらくその世界線で生きている方の…やはり二人存在しているのはおかしいぞ?
違う世界なのだろうか?

1話で、岡部にとどいたメールが何か、ということが一番重要になってきそうだね。



また、突っ込みどころとしては、
「電話レンジはもういらない」に対して、車に乗っけられていくのはIBN5100。
どういうことなの…



この22話を見ることができて、よかった。

そして、脚本の…言葉が良い。
死ぬべき運命の人からの言葉、か。
染み入る。


++++++
しかし、活動電位をプローブして、その情報を伝える、という(ちょっと非現実的な:SFだししょうがない)設定のようなのだが、それで「過去に行く」「未来に行く」という表現をしているのはおかしいのと、演出で言えば、撮影者、という視点がいまどこにいるのか、ということが常に重要になっているわけだが、世界線を移動しているのは「岡部の意識」「その他の記憶」「撮影者」であり、人が移動していない、ということを明確にしておくべきなんだろうなぁ。


時間が、いかに尊いものかと。
場が、いかに尊いものかと。
座標じゃなくて、場だよ。
この三次元の。
そしてそこに存在する意識。


++++++

泣いても、いいんだよ。