2011年10月22日土曜日

学習について

twitterに連投したのが見難いので、こちらに貼ります。出典:ブリタニカ百科事典

個人的経験の結果として起る比較的永続性のある行動の変容。生物体が知覚によって自分の行動を変える場合も学習と呼ぶ。ただし成熟、披露、その他、器質的、帰納的変化による変容は除かれる。学習に依って形成された反応様式を習慣という。
学習に依って得た行動には、(1)連合学習ないし条件づけによる学習(古典的条件づけおよび道具的条件づけ)、(2)弁別学習、(3)順化(習慣化)、(4)概念形成、(5)課題解決、(6)知覚学習、(7)運動学習、などが含まれる。
模倣、洞察学習、刷り込みは以上とは異なる種類の学習である。17世紀から20世紀なかばまでの学習理論では、一定の普遍的な原理がすべての学習プロセスを支配し、それが機能する方法と理由の説明を科学的に証明することを目的としていた。
あらゆる生物体の行動を、自然科学で仮定された法則をモデルに統一体系で理解しようと、厳密で「客観的」な方法論が試みられた。しかし、1970年代までに、包括的理論には様々な漏れがあることがわかり、学習に関する単一の理論は不適切であると考えられるようになった。1930年代に、心理学のすべての知識を単一の大理論に統合しようとする最後の試みが、E.ガスリー、C.ハル、E.トールマンによって行われた。ガスリーは、知覚や心理状態ではなく、反応が学習の根本的で最も重要な基礎単位であると考えた。ハルは報酬に依って促進された刺激=反応(S=R)活動の結果である「習慣強度」が学習の不可欠な側面であると主張し、それを斬新的なプロセスとみた。トールマンは、学習は行動から推測されたプロせしであるとした。彼らが広めた幾つかのテーマは、現在も議論されている。

連合はそうしたテーマの一つで、主体は環境中の何かを感じ(感覚)、その結果底に存在するものの認識(観念)が生れるとの意見にその本質がある。観念につながる連合には、時間と空間における物体や出来事の接近、類似性、頻度、特徴、魅力などが含まれるとされる。連合学習は過去に無関係であった刺激を特定の反応に結びつける動物の能力で、おもに条件づけのプロセスによって起る。そのプロセスでは、強化が新しい行動様式を具体化する。初期の有名な条件づけの実験に、19世紀ロシアの生理学者I.パブロフによって行われた犬がベルの音で唾液を流すよう条件づけたものがある。しかし、刺激=反応説は様々な現象を満足のいくように説明が出来ず、過度に還元的で、主体の内的な行動を無視する。トールマンは連合には刺激と主体的な知覚的印象(S=S)が含まれると考える、より「客観的」でないグループの戦闘に立っていた。
もう一つの最近のテーマは、強化である。これは、主体の活動が報酬を与えられる場合にその行動は促進される、との発見を説明するために生れた概念で、強化の理論的仕組みについては激しい議論が続けられている。多くの心理学者は連合理論の普遍的適応性にあまり期待しておらず、学習には他の理由のほうが重要であると主張する。たとえば、ゲシュタルト心理学では、重要な学習プロセスには環境中の様々な関係の結びつきだけでなく、それらの再構築が含まれるとされている。言語心理学では言語学習には多くの言葉と組合せが含まれており、連合理論では十分に説明できないとされ、代りに、語学学習には何らかの基本的な組織化の構造、おそらくは遺伝的に受継いだ生れつきの「文法」が基礎となると主張されている。現代の学習理論の主要な問題には、(1)目標の遂行における動機付けの役割、(2)学習段階、(3)すでに学んだ仕事とまだ学んでいない仕事の間での訓練の転移、(4)階層、忘却、情報検索のプロセスと本質、が含まれる。行動遺伝学は先天的行動と後天的行動の区別といった重要な問題に貢献した。イメージ、認知、認識意思作用など、軽量化できない概念も探求されている。

学習と記憶のメカニズムは、神経系のおける比較的持続性のある変容に左右されるようにみえる。学習の効果は、明らかに可逆的プロセスによって脳にまず保たれ、その後より恒常的な神経の変化が起る。したがって2種類の神経学上のプロセスを示唆している。一時的で可逆的な記憶の短期的な機能は、記憶の痕跡を限られた期間保存する生理学的なメカニズム(シナプスの電気・化学的な変化)によって生れる。確実でより永続的な長期の蓄積は、神経単位の物理・化学的構造の変化に依存しているのであろう。シナプスの変化が特に重要と思われる。

2011年10月16日日曜日

伊勢田哲治 「疑似科学と科学の哲学」

友人に借りて、この本を読んだ。
読み方としては、懐疑的な読み方ではなく、ふんふん、という程度だが。


疑似科学と科学の哲学


本の内容は、以下のようであった。

「科学とは何者であるか」というのを研究するのが科学哲学であるが、その科学の性質を「科学なようで科学でない」疑似科学(えせかがく、ではないよ。えせは「似非」と書きますよ念の為)との比較によってあぶり出そう、というのがこの本の主題である。この「科学と疑似科学をいかにして分けるか」という問題を「線引き問題」という。

この本では、まず「昔は科学の一部であった」創造科学(創造が神によって行われ、その後洪水が起きて…という聖書の文言を基本的に正しいとするもの)や、「占星術」などを引き合いに出して、これらの論理にどのような「ずるさ」があるのか(我々は、これを主張する者たちに一種のずるさを感じているはずだ)、ということを議論し、帰納主義、反証主義、方法論的反証主義、還元主義、パラダイム論について書き、過小決定の問題(観察によって仮説が検証されないという問題)、理論負荷性の問題について、語っている。

科学哲学を学んだのははじめてだが、この中では特に、反証主義とパラダイム論は科学哲学の発展に多くの寄与をしたのだろうと思われる。パラダイム論の所で、クーンのパラダイム選択にあたっての基準として
1.実験や観察との一致
2.内部の無矛盾性および確立されたほかの理論との無矛盾性
3.応用範囲の広さ
4.単純性(オッカムの剃刀)
5.豊穣性(それによって何らかの新しい側面が見えてくるか?)
をあげている。

その後、リサーチプログラム論、リサーチトラディション論が派生してくるということが述べられている。


また、「実在」について、「電子なるものの存在」と、「超能力の存在」を引き合いに、科学理論においてその対象が存在するのか? という問題を問うている。
ここで出てくるのが、科学的実在論、奇跡論法(そういえば田崎先生は奇跡論法の使い手だった気がする)、懐疑主義、悲観的帰納法で、また反実在論として、操作主義、道具主義、構成的経験主義がある。
この後者の反実在論たち、僕は意外と好きだ。
とくに、構成的経験主義はいいと思う。ただ、その現象名をたとえば「電子の~」と呼ぶことも全然ありだと思う。

そういえば、田崎先生の「統計力学I」を読み始めたのだが、その中で、オストヴァルトが分子の実在を信用していく様子が書かれていた。それもまた面白い。


さらに本は代替医療へと進み、マートン流科学社会学、アナーキズム、相対主義を議論する。相対主義にもやはり批判はあり、これへの批判が展開される。

そして話は統計、特にベイズ統計をほぼ文字だけで(なんてこった)語り、最後に、筆者が「線引き問題」について語って終わる。


(線引き問題について)この考えはあった、という意味で、最後の文に、ちょっぴり感動したのであった。
もう一度読んで新たな発見をしないと、とも思うが、そろそろ返さなければならない。
輪講は、してもいいね。


*****

ということで、そろそろ返すよこの本。ちょっとぼろぼろかもだけど。
いや、新しいのを買って君に渡したほうがいいのなら、そうする。

まあ、夜も更けてきましたな。
友人の予言通り、ブログは書き上げました。
でもその先予言通りにならないよう、早く起きたいと思います。


久しぶりの更新でした。