今日は軽めに.
Mr.ビーンが受ける,という事実とその考察をちょびっとだけ.
Mr.ビーンの幾つかのストーリィを,かつて見たことがある.
彼のやっていることは,(子供の頃)誰もがやりたい,と思ったことではないだろうか.
「自由」というものの具現者である,とも言えるだろう.
その「自由」の「失敗」を見せることで,「普通」の人に対して「笑い」を提供しているのだろう,と僕は考えた.
近代における世間の人々は,自らの周りに自由を作らず,あるいは作れず,束縛されている.
Mr.ビーンは「自己中心的」で,その束縛を解き(むしろ感じておらず),自由であるのだ.
何から自由かというと,たとえば「法律」,「常識」,「タブー」,「慣習」だったりする.
人々の,潜在的に抱いている,「そうでありたい」,「そうしたい」という思いを実現し,「自由でないもの」の存在に対して疑問を投げかけるとともに,それが失敗する事によって,「束縛」の正当化へと,「落とす」のだ.
…一般には.
それによって,「多くの共感」を得るのだと考えられる.
しかし,「自由」を中心にして考えると,それはちょっと変わってくるのではないか.
「自由であること」は「失敗に対して責任を負う」ということにほかならない.
Mr.ビーンは,いくつも失敗をしているが,「それでも自由を貫く」という姿勢を崩さない.
あの人に「常識」があれば,すごい苦闘なんだろうなぁ.と思いつつ.
役者自身は,すごい葛藤を感じている,という気はする.
「束縛されること」は確かに楽であり,それは世の中の大半を占めている.
しかし,「僕にとって」その「束縛」された状態って本当に望んでいるものだっけ,と「僕は」あらためてはっとさせられたのであった.
ただ,あそこまでのことをしようと思っているわけではない:念のためw
Mr.ビーンの生い立ちとか,背景があるなら知りたいですな.
なんとなくそういうことを感じたのでつらつらと.
2012年7月23日月曜日
2012年7月15日日曜日
雰囲気を変えて
今日は,一日中ではないけれども,いつもよりは動画を見て過ごしていました.
一つ目は「紙兎ロペ」
自然な会話ってこういうのなんだろうなぁ,っていうのと,一回ごとに背景が一枚で構成されているというのが工夫のしどころなのではないだろうか.
一本3分未満で.
プレイリストはこちら.
http://www.youtube.com/user/GiftMovieROBOT?feature=watch
「脱力」って感じ.
なんもかんがえてないぜー! っていう.
日常系.
日常系については以下もあった.
これも一枚絵で構成されている.
6分.
会話の「重ね方」がうまいなぁ,って思う.
音声だけで聞いてみると,本当に自然.
本当にシュールですねw
人物自体の動きもぬるぬるとそれなりに自然.
最後に,スバルのCM集を.
僕はこの「多くのストーリィを」というテーマにすごい共感すると共に,濃縮された時間に,涙がぽろっぽろと流れたよ.
みなさんはこれらの動画に何を感じるだろうか.
一つ目は「紙兎ロペ」
一本3分未満で.
プレイリストはこちら.
http://www.youtube.com/user/GiftMovieROBOT?feature=watch
「脱力」って感じ.
なんもかんがえてないぜー! っていう.
日常系.
日常系については以下もあった.
これも一枚絵で構成されている.
6分.
会話の「重ね方」がうまいなぁ,って思う.
音声だけで聞いてみると,本当に自然.
本当にシュールですねw
人物自体の動きもぬるぬるとそれなりに自然.
最後に,スバルのCM集を.
僕はこの「多くのストーリィを」というテーマにすごい共感すると共に,濃縮された時間に,涙がぽろっぽろと流れたよ.
本当にすごいなぁ.こういうものを,作ってみたいのものだ.
「ストーリィを提供する」というのは,iphoneで行われた手法と同じかもしれない.
けれど,これは本当にありではないか?
これらは「演出」にもすごい参考になる気がする.
みなさんはこれらの動画に何を感じるだろうか.
2012年7月11日水曜日
演出の基本的思想
演出に対して,いま,基本的な立場を明確にしておきたいと僕は思った.
自明のことかもしれないが,ただの呟きであると思って欲しい.
すべての演出は,「わかりやすさ」なのだろう,と今のところ僕は考えている.
そのためのの手法として,「視線誘導」だったり,「理解しやすい構図」「時間的変化」があったりする.
他にも,レンズを変えるとか,パンとか,いろいろある.
逆に,「わかりにくい」ということを利用する演出もある.
それはたとえば,「敵」,「仲間でない」,「対立の構図」を生み出すものなのであろう.
と,思っている.
では「予感」などはどのように表現するだろうか.
「象徴物」に「時間」を付与するものであろうか.
具体的手法についてはこれからいくつも研究していくと思うが,いまのところこんなかんじのことをもやっとふわっと考えているのである.
演出は「シナリオ」に付随するものであり,シナリオは「目的」に付随するものである.
目的をもとに,シナリオを組み上げ,演出する.
これが理想だな,と考えている.
いままでごっちゃにやってきた気がする.
これをちゃんと構成してみたい.
スタンリィ・キューブリックの2001: A Space Odysseyを見始めた.
ちょっとずつ研究していきたい.
25分までセリフがなくて,これはすごいと感じた.
「把握」できているから,「演出」は適切なのだろうな,ということである.
「言葉」に頼らない演出こそが,最終的な理解を助けると僕は考えているので,これはとてもすごいものだ,と思う.
「記号」というものはキィワードのひとつになっていくのだろうな,と思う.
記号に付与される「意味」.
わざわざ「記号」にすることによって,「大雑把な」共通理解を得るようにする.
ということではないか.
記号は,「音」や「音楽」でもありえる.
実は「単語」でもありではあるのかも.
演出に携わると,このかんがえが変わっていくだろうか.
楽しみである.
疲れているので,こんなかんじでまたお茶を濁すことにする.
自明のことかもしれないが,ただの呟きであると思って欲しい.
すべての演出は,「わかりやすさ」なのだろう,と今のところ僕は考えている.
そのためのの手法として,「視線誘導」だったり,「理解しやすい構図」「時間的変化」があったりする.
他にも,レンズを変えるとか,パンとか,いろいろある.
逆に,「わかりにくい」ということを利用する演出もある.
それはたとえば,「敵」,「仲間でない」,「対立の構図」を生み出すものなのであろう.
と,思っている.
では「予感」などはどのように表現するだろうか.
「象徴物」に「時間」を付与するものであろうか.
具体的手法についてはこれからいくつも研究していくと思うが,いまのところこんなかんじのことをもやっとふわっと考えているのである.
演出は「シナリオ」に付随するものであり,シナリオは「目的」に付随するものである.
目的をもとに,シナリオを組み上げ,演出する.
これが理想だな,と考えている.
いままでごっちゃにやってきた気がする.
これをちゃんと構成してみたい.
スタンリィ・キューブリックの2001: A Space Odysseyを見始めた.
ちょっとずつ研究していきたい.
25分までセリフがなくて,これはすごいと感じた.
「把握」できているから,「演出」は適切なのだろうな,ということである.
「言葉」に頼らない演出こそが,最終的な理解を助けると僕は考えているので,これはとてもすごいものだ,と思う.
「記号」というものはキィワードのひとつになっていくのだろうな,と思う.
記号に付与される「意味」.
わざわざ「記号」にすることによって,「大雑把な」共通理解を得るようにする.
ということではないか.
記号は,「音」や「音楽」でもありえる.
実は「単語」でもありではあるのかも.
演出に携わると,このかんがえが変わっていくだろうか.
楽しみである.
疲れているので,こんなかんじでまたお茶を濁すことにする.
2011年11月7日月曜日
観劇
昨日、劇工舎プリズム第57回公演『Nightfall』を見に行った。
感想を、覚えているうちに、ひっそりと書きたいと思う。
というか、なんか思考の結果、みたいなやつかな。
【演出論】
僕の中で、この演劇の大きなテーマとしては、「なんとかタルト」と「成長・変化」とだったのだろうな、と思った。
なんとかタルト、というのはゲシュタルトのことで、認識してしまうことを言っている。決して猫のタルトとかではない。
成長は、時間発展していく世界を生きる僕達にとっては当然のことなのだけれど、普段あまり意識していないこと。
併せて、覆水盆に返らず、ということも含んでいる。
この話にはおそらく、後悔がなかった。
すくなくとも、セリフには。
もちろん裏に抱えているものはあるだろうけれどね。
でも、それはこの物語の、とても素敵なことではないかな、と思う。
見えないものが見える、というのは昼と夜の関係に象徴されていて、暗くなって何が見えるか、というと、星が見えた。
なるほど、空には星があるのかと、知る。
いろいろと細かいことは気になったものの、全体としてかなり完成度が高く、そして僕は二度目の暗闇で不覚にも泣いた。暗闇でよかった。
【開演までの時系列順感想】
今回、駒場小空間には初めて行った。これは大変にすばらしいところですね。さすが東京大学お金がある…
靴を脱いで観劇したのも初めて。
ちなみに、僕は靴が苦手なので、これはとてもよかった(謎
あったかくむれるんだよね、靴履いていると。
その空間に入ると、扉があった。この扉が後にあんなことになるとは想像していなかったのである。
だめだよ構成部材は強度を考えないと…w
敷居を踏んでいる人も結構いたしな…まぁ、そんなことはどうでもよろしい。
いや、あとでまた話にでてきますけど。ごめんね美術さん。
その扉をくぐり、客席へ。客席は、サントリーホールのように、舞台を見下ろすようにして、両側にあった。
しばらくすると、注意事項が読まれ、演技がはじまる。
注意事項は二人によって(互いに面している客席に向かって)読まれたが、この声がピタリ合っていて、こいつらただもんじゃないな、と思った。
居住まいをただした。
そして開演。
いや、なんか開演(開園?w)したという雰囲気なしに、ラジオの音声が流れ(7時のニュースです)、いつのまにか演技が始まっていた。こういう始まり方もありなんだな、と思った。
その後もう一回注意事項が読まれたのだが、そちらは別に合っていなかった。
努力はしていたね。
【演技について】
演技は、声もしっかり出ていて(喉は大事にしよう、でも聞こえたから大丈夫)、動きもダイナミックかつピシリ、ととめるところはとめていて、素晴らしかったと思う。
明るいところの演技は、多少つたないところがあるものもいたものの、全体として感情表現、日常動作、動きの理由付けなど、よかったと思う。また、キャラクタを的確に動きと声で表現できていたのではないだろうか。これは脚本のことになるが、ちゃんとキャラクタの対応付けや、関係性の変化、示唆にとんだ言葉など、しっかり追っていてさすがだなと思った。
ちなみに僕のお気に入りは「えんちょ/うしさん」である。カンパも彼にしたw
距離感はどうだろうか…ほとんどはいいと思うが、測りきれていないところもあるように感じた。それは物理的距離として。
個人的には、暗いときと明るい時で動きに違いがあり、暗い時に静と動を組み合わせて強調していて、これはなんだろう、と思った。自然ではない動き。心理の描写か。
しかしこれは、後に明らかになるが、劇中作ということに由来しているのではないだろうか。
つまり、動物たちとむすめによるところ、というのは人間関係を描いた絵本、という解釈も可能だ。
これはこじつけ。
前半に動きのダイナミックなところを見せていたため、後半の孤独が浮き立つようになった。また、動きがピシリピシリとしていたことによって、「むすめ」のフラフラとした動きが強調されたと思う。
アドリブに正直ちょっと感心した。
【脚本・演出について】
アシモフの焼き直しだという。
外部と内部、二重に劇が展開する、というのは、かなり挑戦的だと思う。そして、脚本の書き方は気になる。同時のシーンを別々に分けて書いたのかな。
あのようなシーンではアドリブがどのくらいあったのか?
同時性を短い伏線として使うというのは、なかなかやるな、と思った。
「壁なし」の外部、内部で壁を想像させるという演出には、驚いた。
すごいなと思う。
映画でもそういう演出ができるだろうか。
やっているものがあればぜひ教えていただきたいものだが。
あれが「演劇の嘘」ってやつだな、と。
映画の嘘、というものもある。
出席簿がいつまで出ているのか、などと気になるところはあった。
また、さっきも言ったように、暗いシーンと明るいシーンがある。あれは、トランジションをする時()に「暗闇」が発生してしまうために考えられた、と僕は考えている。
「理由ある移動」だ。あれはとてもすごい発想だと思う。
まさか演劇ですべてのシーンが連続性を伴うとは。
その発想は全然、全く、未だかつて、なかった。
驚愕した。
ちなみに、そうでなくても、暗いシーンはとても効果的に使われていた。
ちなみに明るいシーンのセリフがそれを継いでいたこともしばしばで、それも面白かった。
ところで暗いシーンの時に手に持っていた明かりには、3種類あったが、あれは意味があったのだろうか。ちょっとわからない。そういえば、それの点灯/消灯のタイミングが音楽におそらく合わせていたのだろうが、よかったね。
時間のとり方は、本当にうまかった。台詞の間もそうだし、止めている時間もそうだ。暗闇もね。
劇中作である、というところに、最後震えた。
なぜか知らないけれど震えた。
僕はそういうどんでん返しは大好きだ。
【照明について】
明るいシーンについては普段と変わらないであろうから、暗いところについて述べる。
良い影の出来方だった。また、見やすかった。対角線に入れた光が特によろしかった。
最後の陽が沈むシーンは、とても色がざらついていて効果的だったし、星は(おそらく星だろうと思っている)、全体にわたって、見やすかったし、それだとわかった。客席に照明するという発想があるのですね。
【音響について】
ラジオは聞き取りづらかった。まぁ、あれはSEのようなものだろうから、しようがないとは思っている。
暗闇で、音楽をとても大きく入れたのは、大正解であろう。
また、暗いシーンのみで音を入れるという判断もよろしい。
曲も、BGとしてよかった。オリジナルなのかな。
【小道具、美術について】
とても綺麗な小道具や美術であった。
次回から部材強度については検討すべきだが、それ以外は良いのではないか。
僕は、あの事故がおこった瞬間に、美術監督か誰かが、脚本を確認して、扉を使うところすべてを書きだして、それまでになにかしらの修理を(暗いところのシーンの一部の照明を切るなどして)やるのかと思った。
しかし、1900公演までに修理するという仕事が発生したわけで、それはそれで大変だろうな、と思う。
そういう時間ギリギリの火事場の馬鹿力的なやつは好きだ。
反省はあるにせよ、いい打ち上げになったことだろう。
僕も学生の身であり、しかもかなり自由に生きている気がするので(故に制約を感じている)、「そんなんでいられるのは学生の間だけだ」とか、ぐさり、とくるセリフがあったりした。
「やりたいこと」や「やるべきこと」についても、いつも考えてたりする。
演じている彼らには、そういうものがあるだろうか。
この演劇をやるために、どれだけの努力があったことだろうか。
とても、よく、わかる。
一本の映画に、身を投じる、ということをやってきたから。
作品としては、圧倒的に、この演劇のほうがすごいのだけれど、僕も、こうやって人を感動させる作品を、いつか作りたい。
いつか僕も、このpax universitasのごとき、学生時代を抜けだして、どこかの世界で仕事をもち、働くことになるのだろう。
そのときのためにも、僕も努力をしていかなければならないな、と再確認した。
ありがとう。劇工舎プリズム。
感想を、覚えているうちに、ひっそりと書きたいと思う。
というか、なんか思考の結果、みたいなやつかな。
【演出論】
僕の中で、この演劇の大きなテーマとしては、「なんとかタルト」と「成長・変化」とだったのだろうな、と思った。
なんとかタルト、というのはゲシュタルトのことで、認識してしまうことを言っている。決して猫のタルトとかではない。
成長は、時間発展していく世界を生きる僕達にとっては当然のことなのだけれど、普段あまり意識していないこと。
併せて、覆水盆に返らず、ということも含んでいる。
この話にはおそらく、後悔がなかった。
すくなくとも、セリフには。
もちろん裏に抱えているものはあるだろうけれどね。
でも、それはこの物語の、とても素敵なことではないかな、と思う。
見えないものが見える、というのは昼と夜の関係に象徴されていて、暗くなって何が見えるか、というと、星が見えた。
なるほど、空には星があるのかと、知る。
いろいろと細かいことは気になったものの、全体としてかなり完成度が高く、そして僕は二度目の暗闇で不覚にも泣いた。暗闇でよかった。
【開演までの時系列順感想】
今回、駒場小空間には初めて行った。これは大変にすばらしいところですね。さすが東京大学お金がある…
靴を脱いで観劇したのも初めて。
ちなみに、僕は靴が苦手なので、これはとてもよかった(謎
あったかくむれるんだよね、靴履いていると。
その空間に入ると、扉があった。この扉が後にあんなことになるとは想像していなかったのである。
だめだよ構成部材は強度を考えないと…w
敷居を踏んでいる人も結構いたしな…まぁ、そんなことはどうでもよろしい。
いや、あとでまた話にでてきますけど。ごめんね美術さん。
その扉をくぐり、客席へ。客席は、サントリーホールのように、舞台を見下ろすようにして、両側にあった。
しばらくすると、注意事項が読まれ、演技がはじまる。
注意事項は二人によって(互いに面している客席に向かって)読まれたが、この声がピタリ合っていて、こいつらただもんじゃないな、と思った。
居住まいをただした。
そして開演。
いや、なんか開演(開園?w)したという雰囲気なしに、ラジオの音声が流れ(7時のニュースです)、いつのまにか演技が始まっていた。こういう始まり方もありなんだな、と思った。
その後もう一回注意事項が読まれたのだが、そちらは別に合っていなかった。
努力はしていたね。
【演技について】
演技は、声もしっかり出ていて(喉は大事にしよう、でも聞こえたから大丈夫)、動きもダイナミックかつピシリ、ととめるところはとめていて、素晴らしかったと思う。
明るいところの演技は、多少つたないところがあるものもいたものの、全体として感情表現、日常動作、動きの理由付けなど、よかったと思う。また、キャラクタを的確に動きと声で表現できていたのではないだろうか。これは脚本のことになるが、ちゃんとキャラクタの対応付けや、関係性の変化、示唆にとんだ言葉など、しっかり追っていてさすがだなと思った。
ちなみに僕のお気に入りは「えんちょ/うしさん」である。カンパも彼にしたw
距離感はどうだろうか…ほとんどはいいと思うが、測りきれていないところもあるように感じた。それは物理的距離として。
個人的には、暗いときと明るい時で動きに違いがあり、暗い時に静と動を組み合わせて強調していて、これはなんだろう、と思った。自然ではない動き。心理の描写か。
しかしこれは、後に明らかになるが、劇中作ということに由来しているのではないだろうか。
つまり、動物たちとむすめによるところ、というのは人間関係を描いた絵本、という解釈も可能だ。
これはこじつけ。
前半に動きのダイナミックなところを見せていたため、後半の孤独が浮き立つようになった。また、動きがピシリピシリとしていたことによって、「むすめ」のフラフラとした動きが強調されたと思う。
アドリブに正直ちょっと感心した。
【脚本・演出について】
アシモフの焼き直しだという。
外部と内部、二重に劇が展開する、というのは、かなり挑戦的だと思う。そして、脚本の書き方は気になる。同時のシーンを別々に分けて書いたのかな。
あのようなシーンではアドリブがどのくらいあったのか?
同時性を短い伏線として使うというのは、なかなかやるな、と思った。
「壁なし」の外部、内部で壁を想像させるという演出には、驚いた。
すごいなと思う。
映画でもそういう演出ができるだろうか。
やっているものがあればぜひ教えていただきたいものだが。
あれが「演劇の嘘」ってやつだな、と。
映画の嘘、というものもある。
出席簿がいつまで出ているのか、などと気になるところはあった。
また、さっきも言ったように、暗いシーンと明るいシーンがある。あれは、トランジションをする時()に「暗闇」が発生してしまうために考えられた、と僕は考えている。
「理由ある移動」だ。あれはとてもすごい発想だと思う。
まさか演劇ですべてのシーンが連続性を伴うとは。
その発想は全然、全く、未だかつて、なかった。
驚愕した。
ちなみに、そうでなくても、暗いシーンはとても効果的に使われていた。
ちなみに明るいシーンのセリフがそれを継いでいたこともしばしばで、それも面白かった。
ところで暗いシーンの時に手に持っていた明かりには、3種類あったが、あれは意味があったのだろうか。ちょっとわからない。そういえば、それの点灯/消灯のタイミングが音楽におそらく合わせていたのだろうが、よかったね。
時間のとり方は、本当にうまかった。台詞の間もそうだし、止めている時間もそうだ。暗闇もね。
劇中作である、というところに、最後震えた。
なぜか知らないけれど震えた。
僕はそういうどんでん返しは大好きだ。
【照明について】
明るいシーンについては普段と変わらないであろうから、暗いところについて述べる。
良い影の出来方だった。また、見やすかった。対角線に入れた光が特によろしかった。
最後の陽が沈むシーンは、とても色がざらついていて効果的だったし、星は(おそらく星だろうと思っている)、全体にわたって、見やすかったし、それだとわかった。客席に照明するという発想があるのですね。
【音響について】
ラジオは聞き取りづらかった。まぁ、あれはSEのようなものだろうから、しようがないとは思っている。
暗闇で、音楽をとても大きく入れたのは、大正解であろう。
また、暗いシーンのみで音を入れるという判断もよろしい。
曲も、BGとしてよかった。オリジナルなのかな。
【小道具、美術について】
とても綺麗な小道具や美術であった。
次回から部材強度については検討すべきだが、それ以外は良いのではないか。
僕は、あの事故がおこった瞬間に、美術監督か誰かが、脚本を確認して、扉を使うところすべてを書きだして、それまでになにかしらの修理を(暗いところのシーンの一部の照明を切るなどして)やるのかと思った。
しかし、1900公演までに修理するという仕事が発生したわけで、それはそれで大変だろうな、と思う。
そういう時間ギリギリの火事場の馬鹿力的なやつは好きだ。
反省はあるにせよ、いい打ち上げになったことだろう。
僕も学生の身であり、しかもかなり自由に生きている気がするので(故に制約を感じている)、「そんなんでいられるのは学生の間だけだ」とか、ぐさり、とくるセリフがあったりした。
「やりたいこと」や「やるべきこと」についても、いつも考えてたりする。
演じている彼らには、そういうものがあるだろうか。
この演劇をやるために、どれだけの努力があったことだろうか。
とても、よく、わかる。
一本の映画に、身を投じる、ということをやってきたから。
作品としては、圧倒的に、この演劇のほうがすごいのだけれど、僕も、こうやって人を感動させる作品を、いつか作りたい。
いつか僕も、このpax universitasのごとき、学生時代を抜けだして、どこかの世界で仕事をもち、働くことになるのだろう。
そのときのためにも、僕も努力をしていかなければならないな、と再確認した。
ありがとう。劇工舎プリズム。
2011年9月1日木曜日
そして22話
追うんですかこのアニメをこのブログで?w
自分でも突っ込みたいよ全く。
アニメの作り方として、声のほうが前に来るべきではないか、と思うほど声優が良い。
あるいは、演出しっかりしてくれー、といいたくなる。
横顔は、おそらく感情を映し出しはしない。
もうちょっと斜めのカットにすべきだったんだ…!
まあ、言ってもしょうがない。
し、他のところの演出がいいから、突っ込みたくなっているだけ。
最後のパンナップとか本当に印象的。
一応、ダレ場回。
だがクライマックスというとても素敵な22話。
以下ネタバレなんだけど
++++++
エンドロール後に、ようやく、1話の伏線が解消されることとなりそうな気配があった。
牧瀬紅莉栖を殺すのは、おそらく、鈴なのではないか…な。
「橋田至の娘、阿万音鈴羽!」だって?
やはり、ラジカンの屋上にいたのは、鈴羽だった。
そして本当に「元の世界線」に戻っているらしい。
同時に存在できる、ということだね。
いや、確かに存在できると言われていたけど。タイターによっては。
戻った世界線でのダイバージェンスは1%を超えている(なんのこっちゃ)が、おそらく、おそらくその世界線で生きている方の…やはり二人存在しているのはおかしいぞ?
違う世界なのだろうか?
1話で、岡部にとどいたメールが何か、ということが一番重要になってきそうだね。
また、突っ込みどころとしては、
「電話レンジはもういらない」に対して、車に乗っけられていくのはIBN5100。
どういうことなの…
この22話を見ることができて、よかった。
そして、脚本の…言葉が良い。
死ぬべき運命の人からの言葉、か。
染み入る。
++++++
しかし、活動電位をプローブして、その情報を伝える、という(ちょっと非現実的な:SFだししょうがない)設定のようなのだが、それで「過去に行く」「未来に行く」という表現をしているのはおかしいのと、演出で言えば、撮影者、という視点がいまどこにいるのか、ということが常に重要になっているわけだが、世界線を移動しているのは「岡部の意識」「その他の記憶」「撮影者」であり、人が移動していない、ということを明確にしておくべきなんだろうなぁ。
時間が、いかに尊いものかと。
場が、いかに尊いものかと。
座標じゃなくて、場だよ。
この三次元の。
そしてそこに存在する意識。
++++++
泣いても、いいんだよ。
自分でも突っ込みたいよ全く。
アニメの作り方として、声のほうが前に来るべきではないか、と思うほど声優が良い。
あるいは、演出しっかりしてくれー、といいたくなる。
横顔は、おそらく感情を映し出しはしない。
もうちょっと斜めのカットにすべきだったんだ…!
まあ、言ってもしょうがない。
し、他のところの演出がいいから、突っ込みたくなっているだけ。
最後のパンナップとか本当に印象的。
一応、ダレ場回。
だがクライマックスというとても素敵な22話。
以下ネタバレなんだけど
++++++
エンドロール後に、ようやく、1話の伏線が解消されることとなりそうな気配があった。
牧瀬紅莉栖を殺すのは、おそらく、鈴なのではないか…な。
「橋田至の娘、阿万音鈴羽!」だって?
やはり、ラジカンの屋上にいたのは、鈴羽だった。
そして本当に「元の世界線」に戻っているらしい。
同時に存在できる、ということだね。
いや、確かに存在できると言われていたけど。タイターによっては。
戻った世界線でのダイバージェンスは1%を超えている(なんのこっちゃ)が、おそらく、おそらくその世界線で生きている方の…やはり二人存在しているのはおかしいぞ?
違う世界なのだろうか?
1話で、岡部にとどいたメールが何か、ということが一番重要になってきそうだね。
また、突っ込みどころとしては、
「電話レンジはもういらない」に対して、車に乗っけられていくのはIBN5100。
どういうことなの…
この22話を見ることができて、よかった。
そして、脚本の…言葉が良い。
死ぬべき運命の人からの言葉、か。
染み入る。
++++++
しかし、活動電位をプローブして、その情報を伝える、という(ちょっと非現実的な:SFだししょうがない)設定のようなのだが、それで「過去に行く」「未来に行く」という表現をしているのはおかしいのと、演出で言えば、撮影者、という視点がいまどこにいるのか、ということが常に重要になっているわけだが、世界線を移動しているのは「岡部の意識」「その他の記憶」「撮影者」であり、人が移動していない、ということを明確にしておくべきなんだろうなぁ。
時間が、いかに尊いものかと。
場が、いかに尊いものかと。
座標じゃなくて、場だよ。
この三次元の。
そしてそこに存在する意識。
++++++
泣いても、いいんだよ。
ラベル:
Steins;Gate,
アニメ,
演出,
脚本
2011年8月30日火曜日
すでに終わっていると思っていた
まだ完結していなかったのか。Steins;Gate。
アニメの放送を待つ、というのは初めてだよ。
時間があったのでちょっとだけ考えてみた。
脚本家もたいへんだねぇ。
しかし僕がこのブログでアニメについて考察するとはな…
以下、ネタバレ満載です。
なので、一応反転させてくださいねw
+++++
1話みなおし。
β
中鉢博士の発表会@ラジカン
発表会前に無事着陸しているタイムマシン。
キャップを逆に被った人(鈴さんでは? あとで言及)の姿。罰印を誰かに送っている。
どこかに消えたメタルウーパ
15分前に岡部にあったというクリス
「さっき、なにか言いかけましたよね、私に。
「15分くらい前
「何か言おうとしていましたよね」、「すごい、思いつめたような顔で…」
携帯に届くメール
「
受信日時:2010/07/28 12:26
差出人:sg-epk@jtk93.x29.jp
件名:件名なし
[添付]IMV001
」
→ノイズ
岡部らしき叫び声
妙な音、ドアの閉まる音?
刺されたクリス
鳴っている電話
<2000年にタイターがいる世界
(どちらも未来は変えなければならない)
@16話
橋田鈴からの手紙
「2010年に寄り道すべきじゃなかった」
→世界線が変わったときにおそらく寄り道している。
2010年は、同じ年。
つまり、中鉢博士の会見への移動である可能性もある。
α
人のいない秋葉原
飛行機の音? ただの効果音だろうか
ラジカンに突っ込んだタイムマシン<12時頃>
移行前は、岡部は人工衛星の墜落をテレビで見て
「ついに機関が動き出したー」とかいって
ふたりでみにきた
中鉢博士の会見中止
岡部「あの博士直前になって逃げた」
>なぜ中止になったのか?
2010/07/23 12:56
「牧瀬紅莉栖が刺された」というメール。
これがSernに捕捉されることによって、何が起こったのかな?
→鈴さんがくる
<2010年にタイター初登場
未来は変わらなければいけない
→2000年に登場?
*****
どうでもいいけど@1話:電話レンジ
「シャープボタンを押したあと、温めたい秒数を入力してください」
→120#
なんやねんw
追記:友人の話によれば、これは間違えた時のみにゲルバナの現象が起きるらしい。へー。
*****
岡部「これまでのDメールをすべて取り消し、世界線をもとに戻す。そこは…SERNが支配するディストピアが生まれない世界線。まゆりが死なない世界線。そして…その世界線では…牧瀬紅莉栖が---死ぬ」@20話
ディストピアは生まれるのでは?
生まれないのならタイムマシンはやってこない、はず。
*****
続きが楽しみね。
アニメの放送を待つ、というのは初めてだよ。
時間があったのでちょっとだけ考えてみた。
脚本家もたいへんだねぇ。
しかし僕がこのブログでアニメについて考察するとはな…
以下、ネタバレ満載です。
なので、一応反転させてくださいねw
+++++
1話みなおし。
β
中鉢博士の発表会@ラジカン
発表会前に無事着陸しているタイムマシン。
キャップを逆に被った人(鈴さんでは? あとで言及)の姿。罰印を誰かに送っている。
どこかに消えたメタルウーパ
15分前に岡部にあったというクリス
「さっき、なにか言いかけましたよね、私に。
「15分くらい前
「何か言おうとしていましたよね」、「すごい、思いつめたような顔で…」
携帯に届くメール
「
受信日時:2010/07/28 12:26
差出人:sg-epk@jtk93.x29.jp
件名:件名なし
[添付]IMV001
」
→ノイズ
岡部らしき叫び声
妙な音、ドアの閉まる音?
刺されたクリス
鳴っている電話
<2000年にタイターがいる世界
(どちらも未来は変えなければならない)
@16話
橋田鈴からの手紙
「2010年に寄り道すべきじゃなかった」
→世界線が変わったときにおそらく寄り道している。
2010年は、同じ年。
つまり、中鉢博士の会見への移動である可能性もある。
α
人のいない秋葉原
飛行機の音? ただの効果音だろうか
ラジカンに突っ込んだタイムマシン<12時頃>
移行前は、岡部は人工衛星の墜落をテレビで見て
「ついに機関が動き出したー」とかいって
ふたりでみにきた
中鉢博士の会見中止
岡部「あの博士直前になって逃げた」
>なぜ中止になったのか?
2010/07/23 12:56
「牧瀬紅莉栖が刺された」というメール。
これがSernに捕捉されることによって、何が起こったのかな?
→鈴さんがくる
<2010年にタイター初登場
未来は変わらなければいけない
→2000年に登場?
*****
どうでもいいけど@1話:電話レンジ
「シャープボタンを押したあと、温めたい秒数を入力してください」
→120#
なんやねんw
追記:友人の話によれば、これは間違えた時のみにゲルバナの現象が起きるらしい。へー。
*****
岡部「これまでのDメールをすべて取り消し、世界線をもとに戻す。そこは…SERNが支配するディストピアが生まれない世界線。まゆりが死なない世界線。そして…その世界線では…牧瀬紅莉栖が---死ぬ」@20話
ディストピアは生まれるのでは?
生まれないのならタイムマシンはやってこない、はず。
*****
続きが楽しみね。
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