2011年11月7日月曜日

観劇

昨日、劇工舎プリズム第57回公演『Nightfall』を見に行った。

感想を、覚えているうちに、ひっそりと書きたいと思う。
というか、なんか思考の結果、みたいなやつかな。


【演出論】
僕の中で、この演劇の大きなテーマとしては、「なんとかタルト」と「成長・変化」とだったのだろうな、と思った。
なんとかタルト、というのはゲシュタルトのことで、認識してしまうことを言っている。決して猫のタルトとかではない。
成長は、時間発展していく世界を生きる僕達にとっては当然のことなのだけれど、普段あまり意識していないこと。
併せて、覆水盆に返らず、ということも含んでいる。
この話にはおそらく、後悔がなかった。
すくなくとも、セリフには。
もちろん裏に抱えているものはあるだろうけれどね。

でも、それはこの物語の、とても素敵なことではないかな、と思う。


見えないものが見える、というのは昼と夜の関係に象徴されていて、暗くなって何が見えるか、というと、星が見えた。
なるほど、空には星があるのかと、知る。


いろいろと細かいことは気になったものの、全体としてかなり完成度が高く、そして僕は二度目の暗闇で不覚にも泣いた。暗闇でよかった。


【開演までの時系列順感想】
今回、駒場小空間には初めて行った。これは大変にすばらしいところですね。さすが東京大学お金がある…
靴を脱いで観劇したのも初めて。
ちなみに、僕は靴が苦手なので、これはとてもよかった(謎
あったかくむれるんだよね、靴履いていると。

その空間に入ると、扉があった。この扉が後にあんなことになるとは想像していなかったのである。
だめだよ構成部材は強度を考えないと…w
敷居を踏んでいる人も結構いたしな…まぁ、そんなことはどうでもよろしい。
いや、あとでまた話にでてきますけど。ごめんね美術さん。

その扉をくぐり、客席へ。客席は、サントリーホールのように、舞台を見下ろすようにして、両側にあった。

しばらくすると、注意事項が読まれ、演技がはじまる。
注意事項は二人によって(互いに面している客席に向かって)読まれたが、この声がピタリ合っていて、こいつらただもんじゃないな、と思った。
居住まいをただした。

そして開演。
いや、なんか開演(開園?w)したという雰囲気なしに、ラジオの音声が流れ(7時のニュースです)、いつのまにか演技が始まっていた。こういう始まり方もありなんだな、と思った。
その後もう一回注意事項が読まれたのだが、そちらは別に合っていなかった。
努力はしていたね。


【演技について】
演技は、声もしっかり出ていて(喉は大事にしよう、でも聞こえたから大丈夫)、動きもダイナミックかつピシリ、ととめるところはとめていて、素晴らしかったと思う。

明るいところの演技は、多少つたないところがあるものもいたものの、全体として感情表現、日常動作、動きの理由付けなど、よかったと思う。また、キャラクタを的確に動きと声で表現できていたのではないだろうか。これは脚本のことになるが、ちゃんとキャラクタの対応付けや、関係性の変化、示唆にとんだ言葉など、しっかり追っていてさすがだなと思った。
ちなみに僕のお気に入りは「えんちょ/うしさん」である。カンパも彼にしたw

距離感はどうだろうか…ほとんどはいいと思うが、測りきれていないところもあるように感じた。それは物理的距離として。

個人的には、暗いときと明るい時で動きに違いがあり、暗い時に静と動を組み合わせて強調していて、これはなんだろう、と思った。自然ではない動き。心理の描写か。
しかしこれは、後に明らかになるが、劇中作ということに由来しているのではないだろうか。
つまり、動物たちとむすめによるところ、というのは人間関係を描いた絵本、という解釈も可能だ。
これはこじつけ。

前半に動きのダイナミックなところを見せていたため、後半の孤独が浮き立つようになった。また、動きがピシリピシリとしていたことによって、「むすめ」のフラフラとした動きが強調されたと思う。

アドリブに正直ちょっと感心した。


【脚本・演出について】
アシモフの焼き直しだという。

外部と内部、二重に劇が展開する、というのは、かなり挑戦的だと思う。そして、脚本の書き方は気になる。同時のシーンを別々に分けて書いたのかな。
あのようなシーンではアドリブがどのくらいあったのか?
同時性を短い伏線として使うというのは、なかなかやるな、と思った。

「壁なし」の外部、内部で壁を想像させるという演出には、驚いた。
すごいなと思う。
映画でもそういう演出ができるだろうか。
やっているものがあればぜひ教えていただきたいものだが。
あれが「演劇の嘘」ってやつだな、と。
映画の嘘、というものもある。

出席簿がいつまで出ているのか、などと気になるところはあった。

また、さっきも言ったように、暗いシーンと明るいシーンがある。あれは、トランジションをする時()に「暗闇」が発生してしまうために考えられた、と僕は考えている。
「理由ある移動」だ。あれはとてもすごい発想だと思う。
まさか演劇ですべてのシーンが連続性を伴うとは。
その発想は全然、全く、未だかつて、なかった。
驚愕した。
ちなみに、そうでなくても、暗いシーンはとても効果的に使われていた。
ちなみに明るいシーンのセリフがそれを継いでいたこともしばしばで、それも面白かった。

ところで暗いシーンの時に手に持っていた明かりには、3種類あったが、あれは意味があったのだろうか。ちょっとわからない。そういえば、それの点灯/消灯のタイミングが音楽におそらく合わせていたのだろうが、よかったね。

時間のとり方は、本当にうまかった。台詞の間もそうだし、止めている時間もそうだ。暗闇もね。

劇中作である、というところに、最後震えた。
なぜか知らないけれど震えた。
僕はそういうどんでん返しは大好きだ。




【照明について】
明るいシーンについては普段と変わらないであろうから、暗いところについて述べる。
良い影の出来方だった。また、見やすかった。対角線に入れた光が特によろしかった。

最後の陽が沈むシーンは、とても色がざらついていて効果的だったし、星は(おそらく星だろうと思っている)、全体にわたって、見やすかったし、それだとわかった。客席に照明するという発想があるのですね。


【音響について】
ラジオは聞き取りづらかった。まぁ、あれはSEのようなものだろうから、しようがないとは思っている。
暗闇で、音楽をとても大きく入れたのは、大正解であろう。
また、暗いシーンのみで音を入れるという判断もよろしい。
曲も、BGとしてよかった。オリジナルなのかな。


【小道具、美術について】
とても綺麗な小道具や美術であった。
次回から部材強度については検討すべきだが、それ以外は良いのではないか。
僕は、あの事故がおこった瞬間に、美術監督か誰かが、脚本を確認して、扉を使うところすべてを書きだして、それまでになにかしらの修理を(暗いところのシーンの一部の照明を切るなどして)やるのかと思った。
しかし、1900公演までに修理するという仕事が発生したわけで、それはそれで大変だろうな、と思う。
そういう時間ギリギリの火事場の馬鹿力的なやつは好きだ。
反省はあるにせよ、いい打ち上げになったことだろう。





僕も学生の身であり、しかもかなり自由に生きている気がするので(故に制約を感じている)、「そんなんでいられるのは学生の間だけだ」とか、ぐさり、とくるセリフがあったりした。
「やりたいこと」や「やるべきこと」についても、いつも考えてたりする。
演じている彼らには、そういうものがあるだろうか。

この演劇をやるために、どれだけの努力があったことだろうか。
とても、よく、わかる。
一本の映画に、身を投じる、ということをやってきたから。
作品としては、圧倒的に、この演劇のほうがすごいのだけれど、僕も、こうやって人を感動させる作品を、いつか作りたい。


いつか僕も、このpax universitasのごとき、学生時代を抜けだして、どこかの世界で仕事をもち、働くことになるのだろう。
そのときのためにも、僕も努力をしていかなければならないな、と再確認した。

ありがとう。劇工舎プリズム。