2011年10月16日日曜日

伊勢田哲治 「疑似科学と科学の哲学」

友人に借りて、この本を読んだ。
読み方としては、懐疑的な読み方ではなく、ふんふん、という程度だが。


疑似科学と科学の哲学


本の内容は、以下のようであった。

「科学とは何者であるか」というのを研究するのが科学哲学であるが、その科学の性質を「科学なようで科学でない」疑似科学(えせかがく、ではないよ。えせは「似非」と書きますよ念の為)との比較によってあぶり出そう、というのがこの本の主題である。この「科学と疑似科学をいかにして分けるか」という問題を「線引き問題」という。

この本では、まず「昔は科学の一部であった」創造科学(創造が神によって行われ、その後洪水が起きて…という聖書の文言を基本的に正しいとするもの)や、「占星術」などを引き合いに出して、これらの論理にどのような「ずるさ」があるのか(我々は、これを主張する者たちに一種のずるさを感じているはずだ)、ということを議論し、帰納主義、反証主義、方法論的反証主義、還元主義、パラダイム論について書き、過小決定の問題(観察によって仮説が検証されないという問題)、理論負荷性の問題について、語っている。

科学哲学を学んだのははじめてだが、この中では特に、反証主義とパラダイム論は科学哲学の発展に多くの寄与をしたのだろうと思われる。パラダイム論の所で、クーンのパラダイム選択にあたっての基準として
1.実験や観察との一致
2.内部の無矛盾性および確立されたほかの理論との無矛盾性
3.応用範囲の広さ
4.単純性(オッカムの剃刀)
5.豊穣性(それによって何らかの新しい側面が見えてくるか?)
をあげている。

その後、リサーチプログラム論、リサーチトラディション論が派生してくるということが述べられている。


また、「実在」について、「電子なるものの存在」と、「超能力の存在」を引き合いに、科学理論においてその対象が存在するのか? という問題を問うている。
ここで出てくるのが、科学的実在論、奇跡論法(そういえば田崎先生は奇跡論法の使い手だった気がする)、懐疑主義、悲観的帰納法で、また反実在論として、操作主義、道具主義、構成的経験主義がある。
この後者の反実在論たち、僕は意外と好きだ。
とくに、構成的経験主義はいいと思う。ただ、その現象名をたとえば「電子の~」と呼ぶことも全然ありだと思う。

そういえば、田崎先生の「統計力学I」を読み始めたのだが、その中で、オストヴァルトが分子の実在を信用していく様子が書かれていた。それもまた面白い。


さらに本は代替医療へと進み、マートン流科学社会学、アナーキズム、相対主義を議論する。相対主義にもやはり批判はあり、これへの批判が展開される。

そして話は統計、特にベイズ統計をほぼ文字だけで(なんてこった)語り、最後に、筆者が「線引き問題」について語って終わる。


(線引き問題について)この考えはあった、という意味で、最後の文に、ちょっぴり感動したのであった。
もう一度読んで新たな発見をしないと、とも思うが、そろそろ返さなければならない。
輪講は、してもいいね。


*****

ということで、そろそろ返すよこの本。ちょっとぼろぼろかもだけど。
いや、新しいのを買って君に渡したほうがいいのなら、そうする。

まあ、夜も更けてきましたな。
友人の予言通り、ブログは書き上げました。
でもその先予言通りにならないよう、早く起きたいと思います。


久しぶりの更新でした。

1 件のコメント:

  1. 別にそのまま返してくれてもいいし、新しいのを買ってくれてもいいし(笑)、どっちでもいいよー

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