2012年7月11日水曜日

演出の基本的思想

演出に対して,いま,基本的な立場を明確にしておきたいと僕は思った.
自明のことかもしれないが,ただの呟きであると思って欲しい.


すべての演出は,「わかりやすさ」なのだろう,と今のところ僕は考えている.

そのためのの手法として,「視線誘導」だったり,「理解しやすい構図」「時間的変化」があったりする.
他にも,レンズを変えるとか,パンとか,いろいろある.


逆に,「わかりにくい」ということを利用する演出もある.
それはたとえば,「敵」,「仲間でない」,「対立の構図」を生み出すものなのであろう.
と,思っている.

では「予感」などはどのように表現するだろうか.
「象徴物」に「時間」を付与するものであろうか.


具体的手法についてはこれからいくつも研究していくと思うが,いまのところこんなかんじのことをもやっとふわっと考えているのである.



演出は「シナリオ」に付随するものであり,シナリオは「目的」に付随するものである.

目的をもとに,シナリオを組み上げ,演出する.
これが理想だな,と考えている.


いままでごっちゃにやってきた気がする.
これをちゃんと構成してみたい.


スタンリィ・キューブリックの2001: A Space Odysseyを見始めた.
ちょっとずつ研究していきたい.
25分までセリフがなくて,これはすごいと感じた.
「把握」できているから,「演出」は適切なのだろうな,ということである.
「言葉」に頼らない演出こそが,最終的な理解を助けると僕は考えているので,これはとてもすごいものだ,と思う.

「記号」というものはキィワードのひとつになっていくのだろうな,と思う.
記号に付与される「意味」.
わざわざ「記号」にすることによって,「大雑把な」共通理解を得るようにする.
ということではないか.
記号は,「音」や「音楽」でもありえる.
実は「単語」でもありではあるのかも.

演出に携わると,このかんがえが変わっていくだろうか.
楽しみである.

疲れているので,こんなかんじでまたお茶を濁すことにする.

0 件のコメント:

コメントを投稿