2011年8月8日月曜日

ファーブル



Jean-Henri Casimir Fabre (December 22, 1823 - October 11, 1915)
皆さん知っての通り、ファーブルという人は、昆虫やその行動をつぶさに観察したことで有名で、誰もがその『昆虫記』は読んだことがなくても、聞いたことがあるだろう。


彼の特徴は、学界の大勢である意見、たぶんこうだろう、という予想に対して、観察をし、実験系を組み、それらによって反証、検証したという点である。
ただの観察に終わっていない点が当時としては画期的だったようだ。


wikipediaにはファーブルが昆虫記の中に予想をいかにも見たように書いている、という下りがあるが、当時の科学界では(とくに昆虫の世界では)このような書き方は一般的ではなかったのか(よくは知らないので調べる必要はありますが)。
ただまあ、科学に対しての反証というものの信頼性が下がるという主張は理解できる。




最近、知らず知らずのうちにファーブルと同じ(ような)実験をしていたことに、驚いた。
それに対して、僕は普遍性を追い求めようとしなかったが、ファーブルは求めたのか、と彼の科学者としての態度に驚く。


それはどういう実験かというと、蝉に対して大きな音を聴かせる、という実験だ。
僕の場合、手を叩く、であったっが、ファーブルは、役場から銃を持ってきてもらって空砲を撃ったという。


どちらの場合にも、蝉が鳴き止んだり、行動を変えることはなかった。
僕はファーブルのその実験を知って、ああ、そうか僕は追試をしたのか、と思った。


後の研究により、蝉は人間の可聴域とは違う領域で音を聞いていることが判明したという(いったい何ヘルツなのだろう)。




また、彼は本能について研究をしていた。
彼は、本能について、「一度それを始めるとやめられない」もの、と言っていたと思う。
僕がいまファーブルのことを書いているのは、NHK-BSの番組に影響されているが、その中で衝撃的な映像を見たのだ。


サソリは、交尾する前に、ダンスをする。
愛のダンス。
オスはそのダンスが終わって、交尾をするとメスに食べられてしまうという。
しかし、
オスは、そのダンスの途中で、誤ってメスを毒針で刺してしまうのである。


メスは、すぐに死に至る。
しかし、オスは、動きを止めたメスを、必死に一緒に踊ろうと、何度も、何度も左右にゆっくりと、そのはさみをつかんで動かすのである。




シリーズを通して繰り返される、本能とは、プログラムされて、それをやめることができないものである、ということばに強く心を打たれた。




それを観察する系を作ったのは、奥本大三郎先生。
いま、ファーブル昆虫記の完訳に挑んでいるという。
それで、ファーブルのしたことを追うために、様々なことを実際にやってみているということだそうだ。


この先生は、かつて埼玉大学の教授だったのだという(現在は名誉教授)。
それも含めて、ファーブルとこの先生の書いた、昆虫記を読んでみたいとそう思う。



完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上


ところで、教科書を信用しないということの重要性だが、当時の科学界が予測をあったことのように書いているということは先に述べた。
その記述を信用せずに、ちゃんと実験系を作って試す、というのはかなり重要な作業ではないかと思う。
科学は経験則であり、教科書は、経験ではない。

1 件のコメント:

  1. 最後の「ところで、」以降から察するに、君は科学に対しては実証主義の態度なのか。しかも、線引き問題も実証主義者的に考えるのね。
    実証主義者って風当たりが強いから、君かなり貴重な人材だぜw
    ぜひ科学哲学について語り合いたいものだ。「本をあらかじめみんなで読んできて、当日論点をピックアップして議論する。」っていう形式のゼミやらない?

    僕が今読みたい科学哲学の本は
    『科学哲学(ブックガイドシリーズ基本の30)』(中山康雄著)
    『科学入門ー科学的なものの考え方』(武谷三男著)
    あたり。後者はゼミ向きじゃないかも。
    もし線引き問題が興味の対象なら
    『疑似科学と科学の哲学』(伊勢田哲治著)
    でもいいよ。

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