2012年7月4日水曜日

「レールから外れて」生きるために

もくじ
「レールから外れた」ヒトとして
「ラベリング」は単純化
単純化と「レール」の関係
もっと「複雑なラベリング」を!

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「レールから外れた」ヒトとして
高校までは,あるレールに乗ってきた.
それは,たとえば「私立の中高一貫校で,エスカレータ」というものであったりする.

ところが,受験期に僕は大きな決断をする.
それまでやってきたものを脱ぎ捨て,ブツリなどという奇っ怪極まりないものに手を出すことにしたのだ.
それが,たしか,試験が直前に迫っていた11月だったと思う.

数学は,苦手です.よって物理も苦手です.

その結果として,成績をぽろんぽろんと落としている自分がいるわけだ.
そのまま卒業できないかもしれない,なんて言われている.
そもそも出席が危ういとか.自業自得.

べつに自分の身の上話がしたかったわけではない.
ただ,「レールから外れている立場」のひとが書いてますよ,と主張したかっただけである.
ま,それほど外れているとも言えないのが苦しいけれど.


「ラベリング」は単純化
さて.
最近,「ラベリング」することについて,疑問を感じている.
たとえば,「ゆとり」とか,「老害」とか.
主に否定的ニュアンスを思いつくことができる.

ところが,実際話してみると,「ゆとり世代」であっても「一人ひとり」は違うし,もちろんご老人もそうである.
それは自明のこと…といってもいい…ですよね.

それを一人ひとりについて見ていくと,面倒くさい事この上ないはずで,それを「単純化」するために,「ラベリング」「タグづけ」と呼ばれる操作をするのである.

「値段」とか,「得点」とか,そういうのも「ラベル」の一つに入る.
しかし,「一つのラベル」に頼ると,大変なことが起こる.
たとえば,留年生(過年度生,というらしい)は全員サボっているのだろうか.
若者は全員オタクで全員不良だったりするのだろうか.

僕は,この「ラベリング」について,ヒトコト言いたいことがあるのだ.


単純化と「レール」の関係
さて,上のような内容が「レールから外れる」という話とどう絡んでいくのか.
そもそも,その人はなぜレールからはずれたか,というと,画一的な処理からはじき出されたからであって,画一的な処理はある一つの,あるいは少数のラベリングによって行われることが多い.
たとえば,「テストの点数」なんてラベリングの最たるものではないか.


もっと「複雑なラベリング」を!
「一つのラベルに頼ること」の危険性は,さっき述べた.
理想的には,ラベルなんてなく,ただ「そのもの」を認識する,というのがいいのだろうが,我々の認識の仕組みとして,おそらく不可能ではないか,と思える.「ラベルを多く貼る」というのが現実的な解ではないだろうか.

最近は,ビッグデータの時代と言われる.
ビッグデータは,たとえばamazonのような,「顧客の情報」を収集し,整理し,その上で顧客にフィードバックする,というようなところに使われる.
そのビッグデータとして,多くのラベルを使い,そして人やモノゴトを「評価」できないか,という考えを表明して,今日のところは終える.


「評価すること」,「バイアス」,「ラベルの時間変化」についてはまた考察したいと思う.
この問題に付随するものとして,「政党政治」,「リスクマネジメント」などがあるだろう.「評価」をする部分だ.

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